はじめに

 当サイトの目的は「長唄を中心に古めの日本の音楽を研究すること」ですから、もはや「古めの日本の音楽」の仲間入りを果たしつつある歌謡曲も、研究の対象に含めるべきであると考えます……といいますか、歌謡曲と古い江戸唄とは、意外なほど共通点が多いものです。

 歌謡曲研究とか歌謡曲史の本は既に多数あるので、今さらわたくしが口を出す余地も必要もないのではありますが、従来の歌謡曲研究に対して私は、

■全体に、研究対象として扱われる歴史範囲が狭すぎる
■従来の歌謡曲史の多くは、往々にしてヒット曲史であって、それは音楽史というよりも、どちらかというと社会史・世相史などの範疇に属するものである
■逆に、研究の対象を専門的でマニアックな分野(歌謡曲内サブカテゴリ)に限定したり、あるいは歌謡曲の歌詞やメロディーラインだけを取り上げる式の、つまり部分的で各論的に過ぎる研究書も多い

というような点に不備・不足を感じてます。しかし、歌謡曲史の全範囲にわたってこれを補足するのは労力的に無理だと思われますので、当サイトでは、最初に述べた、「歌謡曲と古い江戸唄とは意外なほど共通点が多い」という点に注目し、

「古い江戸唄の何が、どのような形で歌謡曲に継承され、それはどのように変化し、または捨て去られ、あるいは江戸唄にはない本質的に新しいものを歌謡曲は産み出し得たのか?」

という問いに答えることを、当面の課題にしてみたいと思います。*註1


 たいていの歌謡曲は、洋楽で用いられるのと同じ楽器と楽団・アレンジ、そして洋楽風の和声とメロディを用いて作られた洋楽の歌曲ではありますが、

「どれほど洋楽そっくりに仕立ててみても、結局それは洋楽とは全然べつもの」で、
「洋楽風だけど洋楽ではないし、日本の伝統音楽でもない、何か得体の知れない混合物」

として、歌謡曲独自の音楽様式と呼べるものも創造できぬまま、もはやその歴史を閉じてしまいました。*註2 意地の悪い言い方をすれば、歌謡曲とは

「洋風でも和風でもないはんぱな存在」で、いわば
「脱亜入欧という妄想に取り憑かれた日本人が産み落とした、音楽文化の奇形児

なのですが、同じ事を多少多少肯定的(ポジティブ)に、

「歌謡曲は欧化圧力を長期間受けながらも、よく日本的な歌の本質を保ち続けた」
「歌謡曲とは、外見はどうであれ、その本質的までもが欧化されることは拒み続けた」

とでも言い直すことも可能でしょうか。そして、そうなった理由を考えるにあたって、当サイトでは

「歌謡曲と古い江戸唄とは意外なほど共通点が多い」

という件に着目してみたいわけです。日本の文化と歴史は明治維新とか太平洋戦争の前後等々で、見かけ上は大きく寸断され、過去との断絶を何度も繰り返してきたように思われがちですが、政経史上はともかく、少なくとも「芸能・歌舞音曲」の分野では、意外と江戸時代(あるいはそれ以前)からの一貫した流れが継続しているものです(悪く言えば旧態依然、良く言えば伝統)。そこで、もしも歌謡曲の「完全欧化」を阻止したのが、しぶとく生き続けている江戸唄の伝統なのだとしたら、歌謡曲が欧化されなかった理由を考える事とは即ち、

江戸時代から現代まで一貫して変わらぬ「日本の歌」の特徴・本質について考える事

と同じであると考えられます。「考えられます」というか、この仮定に基づいて、私は当サイトでの歌謡曲研究を進めていくつもりなのであります。歌謡曲という分野には欧化・洋楽化を進める強い圧力がかかっていた分、かえって、その欧化圧力に抗して存在し続けた「日本の歌を日本の歌たらしめてる何ものか」を見出しやすくしてるように思えるのです。ですから「歌謡曲とは何か」を考える事は、歌謡曲ファンにとってだけではなく、伝統音楽に関わる人々にとっても重要な課題であると私は考えます。

2007/12/23
(改)2007/12/30
(改)2008/02/23


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