雛鶴三番叟(ひなづるさんばそう)
宝暦5年(1755年)ごろ 作詞・作曲者ともに不明

 長唄(歌舞伎舞踊)には、能のを翻案した三番叟ものと呼ばれる作品群があります。石橋もの同様、

■能を歌舞伎化したものであり
■長唄史の最初期から存在し
■以後幕末に至るまで新作三番叟ものが作られ続けた

という特徴があるのですが、石橋ものに比べると現存する作品数は少なく、石橋ものの持つ「江戸中期から幕末にかけての作曲法の変化を跡付けるための歴史資料」としての役割を三番叟ものにも期待するのは、ちょっと難しいように思えます。

 しかしここで取り上げる雛鶴三番叟は、現存する三番叟ものの中で最古の曲であり、長唄の全レパートリーの中でも最も古い方の曲の一つであり、やはり新しい(というか文政期以降の)長唄にはない音楽的な特徴がいくつかあります。「長唄史研究」の立場からすると非常に重要な作品です。

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 文句の方は能のの詞章に基づき、それを長唄式に増量・補綴したものです。このページの下の方には能のの詞章も載せてありますので、興味のある方は比較してみて下さい。

 その能のの詞章の内容なんですが、
「全編を通じて一貫した意味はなく、ただ祝言の言葉を羅列しただけ」
と評されるようなものでして、それを増量しただけなのが長唄の三番叟ですから、内容は更に支離滅裂なもの。ですがこの雛鶴三番叟の文句はなかなか素敵に出来てるように思えます。とくに「おおさえ」以下が秀逸。

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 雛鶴とは何のことか?この曲の作詞・作曲者は不明ですし、初演時の顔ぶれ(役者と演奏者等)も不明、初演時の振付も残っていない。ですから色々分からない事が多いようで、雛鶴に対する解釈も二通りあるようです。

1.一座の内の若手あるいは子役がこの曲を踊った。
若い役者であることを「ひな鳥」に例えるという、これは実にもっともな解釈です。

2.初代中村仲蔵が初演した。
仲蔵の俳号は秀鶴(たぶんしゅうかくと読む)。これを「ひでづる」と訓じ、「ひなづる」にかけたというもの。

 この曲の初演時の振付は残っていないのですが、仲蔵は天明8年(1788)頃に寿世嗣三番叟というのを踊り、更にその24年後の文化9年(1812)、今度は三代目中村歌右衛門が舌出し三番叟を初演しています。
ここで三番叟ものの(歌舞伎史・江戸文化史的に見て)重要な特徴である舌出しが登場するわけですが、三世歌右衛門の舌出し三番叟とは、彼が私淑していた中村仲蔵の寿世嗣三番叟を写したものであるという。つまり文政期の時点で仲蔵は三番叟で舌を出していたのであり、もしかしたら天明期の雛鶴でも仲蔵は舌を出していたのかも知れない。

 中村仲蔵とは関扉・大伴黒主でも「舌を出す」見栄の形を残した人なわけで、これを仲蔵の個性・個人芸と捉えるか(仲蔵=舌を出すのが得な人だった)、それとも、歌舞伎舞踊の三番叟ものとは、むしろ舌を出すのが定番であったし、かつては三番叟以外にも「舌を出す」演出は色々あったと捉えるべきなのか?(鎌倉三代期・絹川村閉居の場の佐々木高綱にも舌を出す見栄がありますね)

 舌出しという奇怪なパフォーマンス、それは成田屋・市川宗家の睨みとも併せ、江戸中期・元禄期からの数十年間の江戸文化の姿を考える上で重要なテーマだと思います。しかしこのページは雛鶴のためのものですので、舌出しについて詳しく調べるのは後日、別項にて。



雛鶴三番叟

とうどうたらり たらりら
たらりあがり ららりどう

所千代まで 翁草
菊の四季ざき しき三番
可愛らしさの 姫小松

木蔭に遊ぶ 鶴亀も
座元の名にし 生い茂る
竹は櫓の 幕の紋

御贔屓頼み 揚幕や
とんと居なりに この舞台
我等も千秋 候う

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凡そ千年の 縁は
二つ枕に 結んだり
又萬代を かけし契りは
水も漏らさぬ 中川に
橋を渡すは
何と云うたら よかろやら
ついいうて いうように

鳴るは瀧の水
絶えず逢瀬を 松の葉の
色は変らじ ただいつ迄も
しやほんにな

尉の翁の あだつきは
添うも千歳 仲人して
心のたけを ひろばかり
明して結ぶ 妹背山
さてもよいよい よい仲同士は
天下泰平 国土安穏
今日の御祈祷なり

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おゝさえおゝさえ
喜びありや

喜びありや 有明の
月の出汐に 青木が原の
浪の声々 打つや鼓の
松吹く風も さっさつとして
すむなりすむなり 音もすみ吉の
幾代経ぬらん 夜遊の舞楽に
拍子を揃えて 足拍子揃えて
時も夜明の 烏飛
袖を返して 面白や

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在原や 高天原に 住吉の

四社の御前で 扇を拾うた
主におうぎの 辻占は
そりゃほんかいな 逢うとは嬉し
真ぞこちゃ嬉し

四社の御田の 苗代水に
結ぶ縁の 種おろし
そりゃほんかいな 結ぶも嬉し
真ぞこちゃ嬉し

さあ住吉様の
岸の姫松 めでたさよ

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実に様々の 舞の曲
指す腕には 悪魔を払い
納むる手には 寿福を抱き
千秋楽には 民を撫で
萬歳楽こそ めでたけれ

ひなづるさんばそう

とうどうたらり たらりら
たらりあがり ららりどう

ところちよまで おきなぐさ
きくのしきざき しきさんば
かわいらしさの ひめこまつ

こかげにあそぶ つるかめも
ざもとのなにし おいしげる
たけはやぐらの まくのもん

ごひいきたのみ あげまく
とんといなりに このぶたい
われらもせんしゅう そうろう

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およそせんねんの えにしは
ふたつまくらに むすんだり
またばんだいを かけしちぎりは
みずももらさぬ なかがわ
はしをわたすは
なんとゆうたら よかろやら
ついいうて いうように

なるはたきのみず
たえずおうせを まつのはの
いろはかわらじ ただいつまでも
しやほんにな

じょうのおきなの あだつきは
そうもせんざい なこうどして
こころのたけを ひろばかり
あかしてむすぶ いもせやま
さてもよいよい よいなかどしは
てんかたいへい こくどあんのん
こんにちのごきとうなり

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おおさえおおさえ
よろびありや

よろびありや ありあけの
つきのでしおに あおきがはら
なみのこえごえ うつやつづみの
まつふくかぜも さっさつとして
すむなりすむなり ねもすみよしの
いくよへぬらん やゆうのぶがくに
ひょうしをそろえて あしびょうしそろえて
ときもよあけの からすとび
そでをかえして おもしろや

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ありわらや たかまがはらに すみよしの

ししゃのおまえで おうぎをひろうた
ぬしにおうぎの つじうらは
そりゃほんかいな おうとはうれし
しんぞこちゃうれし

ししゃのおんたの なわしろみずに
むすぶえにしの たねおろし
そりゃほんかいな むすぶもうれし
しんぞこちゃうれし

さあすみよしさまの
きしのひめまつ めでたさよ

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げにさまざまの まいのきょく
さすかいなには あくまをはらい
おさむるてには じゅふくをいだき
せんしゅうらくには たみをめで
まんざいらくこそ めでたけれ



 冒頭の「とうどうたらり」は三番叟(翁)のお約束のもの。意味不明な呪文かなにかなので、これの解釈・意味付けには様々な説があるようです。一番普通なのは

■囃子詞(はやしことば)説
「とうとう」は鼓の音、「たらり」以下は笛の譜が転化したもの(笛唱歌の事か?)

というものでして、これは感覚的にとても納得しやすい説明ではないかと。21世紀も間近い1990年の大ヒット曲、
B.B.クイーンズ おどるポンポコリン
(作詞;さくら ももこ 作曲;織田 哲郎)

は、

♪いつだって わすれない
 エジソンは えらい人
 そんなの常識 タッタタラリラ
 ピーヒャラピーヒャラ パッパパラパ
 云々

 このフレーズで一世を風靡しましたが、これはつまりたったとかとうとうというた行(t子音)を用いた擬音とらりらとかららり等々の組み合わせであるという点で三番叟のものと共通の言語感覚・言語習慣が産み出した語(フレーズ)なのであり、おどるポンポコリンの方は(現代人にも分かりやすいよう)笛の擬音が補強されている(ピーヒャラピーヒャラ)。ところで三番叟ポンポコリンの2曲は両方とも、

なにか「祝祭的な雰囲気」の中で「浮かれ踊る」

そういう曲調(それぞれが属する音楽文化の中での位置付け)を持っている点でも共通性があります。これをまとめて、三番叟的「とうとうたらり」は、(その歴史的な起源はさておいて)普通の日本人・日本の大衆にとって少なくとも1990年頃までは、

「祝祭的な気分を呼び覚まし、浮かれた踊りの開始を告げる呪文

として有効に作用していた事がわかります……証拠もなにもありませんが。

まぁ、ポンポコリンがヒットしたのは、歌謡曲の世界で時々起こる「日本文化の古層への回帰現象」であると解釈するのが無難で、わざわざ三番叟と関係づける必要もないんですが(サビのフレーズ以外の要素にも、典型的なアナクロニズムの特徴を複数を持つ曲です)。

なお、おどるポンポコリンより以前には、
♪たりらりらーのこにゃにゃちは
というのもありましたね。天才バカボンの主題歌だったか(忘れた)、とにかく赤塚不二夫もの。

 もう一つ、「とうどうたらり」に対する解釈として浅川玉兎氏が紹介してるものに

■チベット起源説
チベットの宗教儀式に用いられる曲にサンバソウというものがあり、言語はサンスクリット(かな?)、カタカナ表記すると日本の「とうどうたらり」とそっくり。これが輸入された。

というものがあります。チベットにはもう一つ、この国固有の礼法として「舌を出して高貴の人を敬う」というものがあるそうで、これは舌出し問題を考える上で、なかなか興味深い話題ではあります(本当にチベットにそういう曲や礼法があるかどうかは分からないんですが)。



 さて、ここから下が能のの詞章です。引用元は

日本音曲全集刊行会 昭和3年2月第二版
中内蝶二・田村西男 編集 謡曲全集

 しかし僕は能が専門ではないので、こちらの世界の事情には疎く、↓のものを「これがの詞章です」と言い切って良いものかどうか、ちょっと確信がありません。要するに僕は能のを見たことが無いわけでして、

■能の場合、流派(観世とか宝生とか)で詞章が大きく違うのかもしれず
■↓の例は能の「上演台本」なのか「素謡」のためのものか判断できず
■翁と千歳のパートはあって三番叟の分は無いが、それは何故?

そういうところが不明。後日これより(長唄との比較という点で)より良いと思われる資料を見つけられたら、差し替えてしまうかも知れません。

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とうどうたらり たらりら
たらりあがり ららりとう

ちりやたらり たらりら
たらりあがり ららりとう

所千代まで おはしませ

我等も千秋 さむらはう

鶴と亀との齢にて

幸心に 任せたり

とうどうたらり たらりら

ちりやたらり たらりら
たらりあがり ららりとう

千歳
鳴るは瀧の水
鳴るは瀧の水 日は照るとも

絶えずとうたり
ありうとう とうとう
千歳
絶えずとうたり 常にとうたり

(千歳舞)
千歳
君の千歳を 経ん事も
天津乙女の 羽衣よ
鳴るは瀧の水 日は照るとも

絶えずとうたり
ありうとう とうとう


總角や とんどや

尋ばかりや とんどや

やあ座して居たれども

参らうれんけりや とんどや

千早振る 神のひこさの 昔より
久しかれとぞ 祝い

そよやり ちやんや


凡そ千年の鶴は
萬歳楽を 歌うたり
又萬代の池の亀は
甲に三極を 備へたり
渚の真砂 索々として
朝の日の 色を朗じ
瀧の水 冷々として
夜の月 あざやかに浮んだり
天下泰平 国土安穏
今日の御祈祷なり
在原や なぞの翁ども

あれはなぞの 翁ども
そや何くの翁 とうとう

そよや

(神がり)

千秋萬歳の歓びの舞なれば
一舞まはう 萬歳楽

萬歳楽

萬歳楽

萬歳楽

おきな

おきな
とうどうたらり たらりら
たらりあがり ららりとう

ちりやたらり たらりら
たらりあがり ららりとう
おきな
ところちよまで おはしませ

われらもせんしゅう さむらおう
おきな
つるとかめとのよわいにて

さいわいこころに まかせたり
おきな
とうどうたらり たらりら

ちりやたらり たらりら
たらりあがり ららりとう

せんざい
なるはたきのみず
なるはたきのみず ひはてるとも

たえずとうたり
ありうとう とうとう
せんざい
たえずとうたり つねにとうたり

(千歳舞)
せんざい
きみのちとせを へんことも
あまつおとめの はごろもよ
なるはたきのみず ひはてるとも

たえずとうたり
ありうとう とうとう

おきな
あげまきや とんどや

ひろばかりや とんどや
おきな
やあざしていたれども

まいろうれんけりや とんどや
おきな
ちはやぶる かみのひこさの むかしより
ひさしかれとぞ いわい

そよやり ちやんや

おきな
およそせんねんのつるは
まんざいらくを うたうたり
またばんだいのいけのかめは
こうにさんきょくを そなえたり
なぎさのまさご さくさくとして
あしたのひの いろをろうじ
たきのみず れいれいとして
よるのつき あざやかにうかんだり
てんかたいへい こくどあんのん
こんにちのごきとうなり
ありはらや なぞのおきなども

あれはなぞの おきなども
そやいづくのおきな とうとう
おきな
そよや

(神がり)
おきな
せんしゅうばんざいのよろこびのまいなれば
ひとまいまおう ばんざいらく

ばんざいらく
おきな
ばんざいらく

ばんざいらく

2007/12/30


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