(お別れ録音)Teisco EG-R and Teisco May Queen、2011年6月

2011/08/22
(改)2017/09/10


 Teisco EG-Rは1950年代のラップ・スチール。ボディは漆塗り。ヘッドには天然貝が象嵌されている。綺麗に丁寧に作り上げられた、米兵さんのお土産用楽器。60年代中期のエレキ・ブーム以降に大量生産されるようになってからのテスコとは、商品としての性格が全く異なる製品です。スケールは518mm(戦前ショート/リッケンバッカー型)。

■リード/バッキングとも、ギター・アンプはYAMAHA YTA-25/マイクはAUDIX D1
■リード=Teisco EG-R
■バッキング=Teisco May Queen、PUポジションはリア
■2011年6月14日録音

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 私が初めてスチール・ギターを買ったのは1990年代の初め頃。ハワイアンには興味なかったけど、横に寝かせたギターの弦を重たい鉄の棒で押さえて弾くスチール・ギター独特の奏法に興味があり、余技的にでも出来るならカッコよさそげで、ギターの仲間なんだから少し練習すればものになるように思われ、それで手を出したわけです。
 ちなみに、そのとき買ったのはテスコ。型番は6D6DWだったか、ボディ上面に木目調化粧板が貼られた6弦2PUの製品。自分にとっての初テスコなのでもありました。興味本位でちょっと触ってみたいだけなのだからフェンギブやショーバド等の高額製品を買うわけはなく、たまたまどこかで安いテスコを見付けたから買ってみたまでの事です。
 それでも一応教則本も買って、それ見ながら練習しようとは思ったのだけど、当時、90年代初期の日本で手軽に入手できるスチール・ギターの教本はハワイアン用しかなく、それに興味ない自分は練習する気が起きず、そのテスコはほとんど弾く事もなく数年後に手放しました。
 でも、練習する気が起きなかった本当の理由はハワイアンだからじゃない。当時の自分はフレットレス楽器とかオープン・チューニング、変則チューニングを扱えなかった。これが一番の原因。だって、その点に問題がなければスチール・ギターをハワイアン以外のジャンルに使ってみようとするはずですもの。

 楽器に限らず、出来ない事を出来るようにするにはブレイクスルーが必要な場合が多い。小さな努力をコツコツ積み重ねて段々と出来るようになる、のではなく、超えられない壁を力ずくででもこじ開けて前進してく的な事が時々どうしても必要になるのだけど、そのブレイクスルーを生むエネルギーは、出来るようになろうとしてる人の素質と欲、そして周囲の環境との組合せ次第で発生したりしなかったりする。運悪く機会に恵まれなければ、一生できないままで終わってしまう。ご縁が無かったという事で。

 私にとって、フレットレス楽器と変則チューニングを扱えるようになるのに必要なブレイクスルーは、ハワイアンではなく、2000年代になってから始めた三味線によってもたらされました。三味線はフレットレス楽器だし、チューニングはオープン系ではないけど一曲の中で数種のチューニングを使い分けたりする点では変則的。三味線を習った結果、2008年頃にはこの2要素を扱えるようになりました。

*)それとまた、ギターとか洋楽とかの輸入文化、つまり悪く言えば外国からの借り物の猿真似芸の勉強ではない、自分の地元の芸を習う事、習える事の大切さと有難味を知れたのも三味線をやって本当に良かったと思える事なのだけど、それはさておき;

 三味線が弾けてもスチール・ギターは弾けません。これにはこれ専用の練習をしないと。ですが1990年代の頃と比べれば敷居は下がってる。超えられないと思ってた壁を既に超えてしまってますので。ヤフオクでテスコ類を買い集めるようになって以来、スチール・ギターも数本入手してしまいましたし、じゃあまたスチール・ギターを弾いてみようかな。
 私はこういうサイトをやってる手前、できればオリジナル状態のテスコを何本か所有しておきたいのだけど、テスコの普通のエレキに実用性は無く、あまり自宅には置いておきたくない。しかしスチール・ギターなら、若干の改良を加えれば実用可能になるし、小型だから場所も取らない点が好都合。しかし手元に置いておくからには弾けなくちゃ気分悪い。という点からも、是非ともこれを弾けるようになりたい。

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 という事で今回が「お別れ録音」での初スチール・ギター。ど下手ですね。でもべつにいいです。回を重ねれば今よりかはマシになるでしょうたぶん。それよか重要なのは最近になってようやく、このスチール・ギターという楽器の「自分にとっての使いどころ」を見付けられた、という事。私にとってのスチール・ギターとは、

・ハワイアンの楽器ではなく、
・カントリーの楽器でもなく、
胡弓の子孫です。

ここで言う胡弓とは中国の二胡等の事ではなく、日本の胡弓。


(この画像は川瀬白秋師のCD『胡弓の彩』VZCG-247のライナーノートから拝借したものです)

 外観は三味線のミニチュアみたい。それを縦に構えて弓で弾く。主に上方地歌で用いられますが、越中おわら風の盆で見られるように立奏・歩きながら弾くのも可能なので、辻芸人が流し・門付けに用いたりもした。江戸時代にはわりと普及率の高い楽器だったようですが、明治期以降は急速に廃れ、今では目にする機会も滅多にない。しかし歌舞伎の下座で用いられる事は多く、世話狂言の愁嘆場、とくに「縁切り」ともなると、忍び泣くが如きに奏される胡弓の、か細く頼りなげな音色が御簾から漏れ聞こえてくるのはお約束。明治期の演歌(壮士演歌)が大正期に変質し、男女の痴情を売り歌う辻芸へと軟化した時、その伴奏にバイオリンを用いるのが定番化した背景には、江戸期に用いられた胡弓の遠い記憶が作用していたのかも知れません。

 大正期とはギターやマンドリンが普及し始めた時期なのでもあるけど、これらは主に都市部の裕福な学生が手にした、モダンで、洗練された都会的なイメージの、萩原朔太郎が詩の題材にするような楽器でした(大正3年「ぎたる弾くひと」)。

 バイオリンはその頃、既に日本の音楽風土にけっこう馴染んでおり、スズキ・バイオリン社による大量生産も明治30年代に開始されており、価格的にはギターよりずっと安い。小型で持ち運びに便利。音量もある。辻芸には最適の楽器です。そもそも、洋楽風の和音で伴奏されるスタイルの流行歌、つまりギターで伴奏されるべき流行歌など、この時期の日本にはまだほとんど存在してないのだ。

 ともかくそんなこんなで、演歌のための楽器として一時は人気のあったバイオリン。明治期の演歌が「壮士演歌」と呼ばれるのに対し大正期のそれは「バイオリン演歌」とも呼ばれる。ですが昭和3年(1928)あたりを境にレコードの普及が本格化し始めると、バイオリン演歌は急速に廃れ、それと入れ替わるように登場した古賀政男=昭和5年(1930)に佐藤千夜子歌唱の「影を慕いて」で作曲家デビューした、その古賀政男の演歌はギターで伴奏するスタイルで、バイオリン類の出番は無し。

 ですがこの1930年頃とは、ハワイアンが流行り始めた時期なのでもあります。アメリカ本国でのハワイ観光ブームと、それに伴うハワイ音楽のブームが起こったのは1920年代。盛期を迎えるのは30年代以降。日本では、昭和8年(1933)にバッキー白片が来日。その同じ年、ミス・コロムビアこと松原操の「19の春」が大ヒットするが、その前奏・間奏にはディック・ミネが弾くスチール・ギターが大きくフィーチャーされ、以後も数十年間、少なくとも1960年代の末頃まで、この楽器は日本の歌謡曲の重要な脇役であり続けて云々

 ですから、日本の流行歌の世界では、フレットレス楽器で物悲しいメロディをクネクネ弾くスタイルが、時々は途切れながらも全体としては綿々と受け継がれていたようなのです。だったら私も、その流れに乗ってみようかな。つまり私にとってのスチール・ギターとはハワイアンとは関係ない、胡弓→大正演歌のバイオリンという流れの延長線上にあるものです。という事でまず弾いてみたのが古賀メロディ。

 三味線が弾けるようになったからスチール・ギターも弾いてみようという発想の私が以上のような結論に辿り着いてしまうのは、むしろ当然の事かもですが。

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 「影を慕いて」のイントロは、三味線音楽の雰囲気をギターに写そうとしたものだ、というのはよく知られた話しですけど、自分が三味線を弾くようになってから、それが本当によく分かるようになりました。このイントロは良く出来てるというか、すごく面白い。
 三味線音楽といっても色々あって、具体的には清元の三味線をギターに移し替えたのが「影を慕いて」のイントロだそうです。ただし、古賀政男がこの曲を作った昭和初期の清元とは、寄席にも出てた頃の清元。つまり大衆芸能の主力を担っていた頃の清元で、現在の、ずいぶん格調高く立派になって、しかし歌舞伎座の外にはもう活動の場所がなくなってしまった清元とは別物と捉えるべきであろうと思う。

*)つまり、「影を慕いて」のイントロの元ネタが清元だよと知って、現在の歌舞伎座で演ってる清元を思い浮かべると、それは微妙に違うんじゃないかという話し。現在の三味線音楽の中で、その「寄席に出てた頃の清元」に多少なりとも近いものを探すなら新内でしょうけど、どちらも豊後系浄瑠璃だから形は似たとこある。ただ「気分」が異なる。

 今回のイントロは、その「三味線っぽさ」を強調したつもりのものだけど、これは失敗。とてもダサくなってしまった。


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