(お別れ録音)Guyatone HG-86A、2012年8月
2013/07/16 (改)2017/10/30
Guyatone HG-86Aは6弦ショート・スケール・モデル。1PU、Vo./Toneの2コントロール。ボディ材はたぶんラワンの単板で、上面エッヂにはセル・バインディングあり。ショート・スケール・モデルとしてはわりと高級な方の製品だと思われます。
ヘッドのロゴ・バッヂは全大文字2行タイプで、指板にはフレットが打たれてる。この特徴から、製造されたのは1950年代と推測されます。
■アンプはYAMAHA YTA-25/マイクはAUDIX D1。
・1st verseは本体TONEツマミを2くらいまで絞った音。2nd verseの出だし8小節はTONE全開。その後はTONEを絞った音と併せ2パートにしてあります。
■ベースはYAMAHA SB-800S
・プリアンプART DUAL MPを介して卓直
・コントロールの設定は、
・ART MPの設定は、
INPUT | OUTPUT | |
5時(ほぼフル) | 10時 | High Z Inputを使用 |
・スポンジ・ミュートを使用
右手をPUフェンスに乗せて、ネック側を2フィンガーで弾。
■スネア・ドラムはKORG WAVEDRUM ORIENTAL。
・ART DUAL MP→M-AUDIO FireWire 410という接続で卓直。
・ART DUAL MPの設定の記録は無し。
・いつもはヘッドの縁(へり)を叩くんだけど、今回は真ん中近くを叩いてます。
■バス・ドラムはAKAI CD3000XL
・パッチはAKAI CD-ROM Vol.3のFUNK KICK 2
・CD3000XLのアナログ・アウトからART DUAL MP→M-AUDIO FireWire 410という接続で卓直。
・ART MPの設定は、
INPUT | OUTPUT | |
センター | 8時半 | 背面Inputを使用 |
(CD3000XLのVol.はFull)
■その他のドラムパーツはSampletank
■イントロ、インタールード等のエレキはNBストラト・コピー。
・アンプはYAMAHA YTA-25/マイクはAUDIX D1。
・L chのPUポジションはC+R。BOSS CS-2を掛けてます。設定はATTACK/SUSTAINともに、ほぼフル。
(単音フレーズの場合、ツマミ全開でないとパコンな音にならなかった。)
・R chのPUポジションはF。クリーン・トーン。
■エレピはevp73
・設定は以下の通り。
■その他の楽器;
・上記3楽器のプリ・アンプはART DUAL MPだったはず。設定の記録は無し。
■録音期間;
ラップ・スチールは2012年8月11日
その他の楽器は2012年10月2〜19日
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今回のお題はアグネス・チャンの8thシングル、「愛の迷い子」でした。1974年12月発売で、1975年の年間チャート19位。かなり売れてたはずなのに印象が薄いのは、桜田淳子「はじめての出来事」や野口五郎「私鉄沿線」とかち合ったせいか、それともデビュー当初の曲(「ひなげしの花」「草原の輝き」)の印象が強すぎるからでしょうか。
ちなみに、彼女のシングルで一番多く売れたのは4thシングル「小さな恋の物語」。青江三奈の場合は(伊勢佐木町ブルースの次のシングルである)「池袋の夜」で、つまり後世にまで残る印象や話題性の強さと、その当時の実売枚数の大小とは必ずしも一致しない。こういう事例は他にも幾つかありそうです。
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ところで、スチール・ギターやバイオリン、三味線等のフレット・レス弦楽器の利点は「ピッチに関する自由度が高い事」ですが、その自由度とは、
A; 音律に関する自由度
B; 音と音とのつなぎ方(うつろい方)に関する自由度
の2通りに大別できる、とまあここではそう仮定しておいて、更にこれを、
A; 音律の自由=静的
B; 音のつなぎ方の自由=動的
という風に意味付けてみる。
尤も、もしも1曲の中で複数の音律を使い分けたりするなら(例えば、主に用いるのはピタゴラス律だけど、ある局面でだけ純正律に変更する、というような事をするなら)、音律もまた動的に変化してるわけで、だから音律に関わる自由が必ずしも常に「静的」であるとは言えない。
それに、1曲を1つの音律で厳密に統一したい場合は、フレット・レス弦楽器ではなく移動フレット(半固定フレット)の弦楽器とか、あるいは音律の調整機能がある鍵盤楽器等を用いた方が良いわけで、だからフレット・レス弦楽器の音程の自由度とは、常に多かれ少なかれ、動的な、変化の仕方に関する問題なのだと言える。
以上の話しはフレット・レス弦楽器全般についてのものですが、しかしフレット・レス弦楽器と一口にいっても、
・和音を奏する事を重視するもの/しないもの
・押弦のために器具を用いるもの/用いないもの
・弦をはじくもの/弓で擦るもの
等々いろいろなタイプがあって、ピッチに関する自由度は、このタイプ別によって生じる技術的な制約も受ける。スチール・ギターは、
・和音を重視し、
・トーン・バーという器具を用いて押弦する
という点が特徴的。しかしトーン・バーは重たいので、素早い動きには不向き。だからスチール・ギターのピッチに関する動的な自由度は、あまり高くない。
私が所有してるトーン・バー。右から
SHUBB GS-1 6弦用/123g
SHUBB SP-1 8弦用/160g
ブランド不明品 93g
三番目のやつはボロボロなんで、実際には使用してません。
スチール・ギターのもう一つの特徴、和音を重視する件について。これは、非和声的な民族音楽でのフレット・レス楽器では重視されないのは当然の事として、西欧のバイオリン族でも、それ単体で和音を弾く事は重視されない。和音を重視するフレット・レス楽器というのは珍しいです。
和音を重視するなら指板幅と同じくらいの長さの器具が必要で、それはどうしても大きく重たくなる。サスティンが短くてかまわないならトーン・バーを重たくする必要はないし、スパニッシュ・ギターのスライド奏法では軽量のスライド・バーを用いる事も多いけど、スチール・ギターではたいていの奏者が重たいトーン・バーを用い、重いkらこそ生じるサスティンの長さと独特の音色を、運動性の高さよりも重視するのだと思う。少なくとも筆者個人の感想としては、素早く動くフレーズを弾きたい時は普通のギターでスライド奏法をすれば良いのであって、スチール・ギターに対しては、(スパニッシュ・ギターとは異なる)これ独特の音色を活かす事を優先すべきで、そのためには重たいトーン・バーが必須。そして、そういう使い分けをしないなら自分でわざわざスチール・ギターを弾く意味もなくなってしまいます。
という事で、運動性があまり高くなく、音と音のつながり方(うつろい方)に関する自由度もあまり高くないのがスチール・ギターなので、「いわゆるハワイアンっぽい」「いかにもカントリーっぽい」というような、そういうお約束感ど真ん中ではないものを弾きたいと思ったら意識的に「ではないスタイル」を身に付けるよう努める必要がある。なんとなく弾いてるだけだと、楽器の方で勝手に「ハワイアンっぽい/カントリーっぽい」雰囲気を作ってくれちゃいますので。いやもちろん、そういうお約束な感じを容易に醸し出せるのが「スタイルの確立された楽器」の良いところで、それに抗うのは不合理なのだけど、「ハワイアンには興味がないがスチール・ギターは好き」という立場の筆者である以上、楽器に備わった特性をあえて否定する愚を犯すのもやむなしであります。
■では、お約束ではない演奏スタイルを身に付けるためにするべき事は何であろうか?
それはやはりコピーであろう。基本、お約束スタイルを身に付けるためにすべき事はコピーである。しかし、お約束ではないスタイルを身に付けるためにすべき事もコピーである。つまり何にせよ、スタイルを身に付けるためにすべき事はコピーなのである。
■では、ハワイ音楽には興味がないスチール・ギター愛好者である私がコピーすべき対象は何であろうか?
ここで一番の問題にしたいのは音と音のつなぎ方(うつろい方)なので、その点に特徴のある音楽ジャンルの中から選ぶのが良さそうだ。そのようなものとしてまず思い付くのは、インド、ミャンマー、ベトナム、中国江南あたり、要するにユーラシア大陸東南地域の民族音楽である。
しかし、それらをコピーするのはいろいろ面倒で、いずれはやってみたい事ではあるけど「手放す楽器のお別れ録音」シリーズとしては、録音作業を手早く済ませられる題材の方が好ましい。
そこでアグネス・チャンですよ☆
という事なのですね。彼女の歌い方は充分に、あるいはそれなりに、中華風である。しかし曲形態は洋楽ポップスだから、コピーはしやすい。だったらアグネス・チャンではなく本場中国のポップス歌手とか、あるいは日本人による中華歌謡の模造品(山口淑子、矢野顕子等)の中から選んでも良いのだけど、そういった諸々の中で自分が聴き馴染んでるのはアグネス・チャンだけなので、今回の場合はアグネス一択です。それに彼女は、6thシングルポケットいっぱいの秘密で(カントリー・スタイルの)スチール・ギターを取り入れた。13thシングル恋のシーソー・ゲーム(1976年)もカントリー調で、バックバンドは(鳥塚しげきomitの)ホットケーキ。この時期のコンサートに随伴してたのもホットケーキで、アグネスのステージ衣装はテンガロン・ハットだったという、そういう面でも彼女は(カントリー系の)スチール・ギターとの縁は浅からぬ人なのであります。ちなみに矢野顕子もアグネス・チャンのバックバンドに加わってたし、アルバム用の楽曲提供もしてた。ともかくだから、アグネス・チャンの曲をスチール・ギター用の題材に取り上げる事にも一応の意義と合理性はあるのだと勝手に決め付け、それで私が選んだのが8thシングルの「愛の迷い子」。
デビュー当初は純然たるアイドル歌手スタイルですっとんきょう歌謡を歌ってた彼女が、13thシングルの頃にはテンガロン族へと転身。その過程の中間あたりに、大正期女学生愛唱歌風の曲調を官製フォーク仕立てにしたようなシングルが数枚あって、その中から私は今回の題材を選んでみました。「ひなげしの花」とかをスチール・ギターで弾くのはいろいろな意味でわけわからなすぎるし、「恋のシーソー・ゲーム」を弾くくらいなら本物カントリーのカバーをした方が良い。それに、テンガロン化して以降のアグネスの唱法は、もうそれほど中華風ではない。だから私にとっては、8thシングルの頃くらいがちょうど良いのです。
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今回の反省点;
1.テンポ設定がおかしい
一般的に、演奏時間3〜5分程度の有節歌曲では、曲尾に向けて若干テンポ・アップしていった方が最後まで聴き通しやすくなるように思われます。聴く人を飽きさせないための工夫の一つですね。ドンカマを入れるようになってからの録音物は最後までテンポ一定で、一応それでとくに問題はないし、ドンカマ登場以前の録音では後半にテンポ落ちてダレるのも多く、そうなっちゃうくらいならテンポ一定の方がずっとマシだけど、後半にオケを厚くするとか主旋律をフェイクするとか別要素を加える等の細工ではなく、テンポ調整だけで聴き手の興味を持続させられるならその方が良いという曲も、けっこう多いに違いないと思う。
一楽節内でのテンポの揺れというのも本当はあるべきで(演奏者が呼吸してるのと同じく、聴き手も呼吸してるのだから)、ドンカマ登場以前の録音はその点は自然で聴きやすい。しかしドンカマ入れてる録音でもテンポが揺れてる実例はあります。遅くなるところと早くなるところを混ぜて、全体としてはテンポ一定が保たれてる、というような録音。ウソだと思う人は各自で調べてみて下さい。
それで、今回の私の作例は後ろの方が遅くなってて、それは大失敗だったと思う。何故そうなったかと言うと、オリジナル音源のテンポがそういう揺れ方をしていて、私はそれをほぼ忠実にコピーしたからです。
ドンカマ登場以前の録音物のテンポの揺れ具合を調べて、それを真似してみるというのは、前からやってみたかった事なのです。今までの「お別れ録音」はほぼ全て、(マルチ録音したものは)ドンカマ入れたテンポ一定で、今回初めて細かくテンポが揺れるものを作ってみました。
*)花の街〜は、途中からテンポ・アップするのを試みてます。
前からやってみたかった課題を果たせた事自体には満足してるけど、テンポが落ちるのまでコピーする必要はなかったですね。生オケの場合、ラストで大人数になって音量もデカくなるとテンポが落ちるのは、どちらかというと自然な現象で(ありがちな事)、オリジナル盤のテンポが落ちてる理由もたぶんそれ。しかし私はアレンジを作り替えてるのだから、その点を考慮してテンポ設定も変えるべきでした。
大編成オケと少人数バンドとでは、同じ曲を同じテンポで演奏し始めても、その後の展開(振る舞い方)は違ってくる。そんなのは当たり前の事なんだけど、自分で実例を作ってみてからでないとそれを実感できないというのが、我ながらどんくさくてアレですわ。
私は採譜作業をする時、とくにアレンジも含めて間違いの無いよう丁寧に採譜したい時は、
1.まず最初に、オリジナル音源をDAWの作業ウィンドウに貼り付ける。
2.DAWシーケンサーの小節線とオリジナル音源の小節線が合致するようにテンポを編集する。
3.オリジナル音源をなぞるように、MIDIデータを作っていく。
という手順で作業を進めます。五線譜に音符を書く作業を省略して、直接MIDIデータを作る→それを鳴らして間違いがないかチェックする→採譜の終了=仮オケの完成、という流れ。
だから細かくテンポが揺れてる音源に対しては、一小節ごとにテンポ・チェンジを入れる必要がある。テンポの揺れ方の完コピを目指すなら一拍ごとに(場合によっては8分音符ごとに)テンポ・チェンジを入れるべきだけど、面倒すぎるのでそこまではしません。それに一拍ごとの揺れなどという事を言いだしたら「各拍の長短の配分がドラムとベースとキーボードでそれぞれ異なる」といった場合も多く(Green Onionsとかが分かりやすい例かも)、そうなると誰を基準にすべきか等の余計な悩みが増えるだけです。グルーヴというのは、この奏者ごとの長短配分の食い違いによって生み出されるものでもあるから、それを正確にコピーしてみるのも有意義だろうけど、採譜目的の場合は一小節ごとのテンポ・チェンジで充分です。
ともかく今回の作例は上記の手順で、テンポ変化とアレンジをなるたけ忠実にコピーするところから作業を始めた。結果として、後半にテンポ落ちたのが失敗。更に今回の反省点のふたつめ、
2.アレンジの作り替えが半端
という問題も生じさせてしまった。私はこの曲に対して、オリジナルとは異なるアレンジを思い付けなかった。だったらオリジナルを忠実にコピーすべきかもだけど、ストリングスを打ち込みで鳴らすのはイヤだというこだわりが私にはあって、この点でもうオリジナル通りというのは無理。3連駆け上がりフレーズはエレキの8分音符フレーズに置き換えて、とっても間抜けなものになってしまった。そのくせジョージ・マーティンっぽいチェロの使い方は採用したかったからベースとエレキでそれをなぞり、結果的にはなんか微笑ましいものになってしまった。その他、ジングルを持ってないからモンキー・タンバリンで代用とか、いけてない点が多々ありますね。
でもまあ以上の事は、オリジナルを知らない人ならとくに気にならないのかも知れません。ともかく、中途半端な作り替えをするくらいなら、そっくりコピーをするべきだったというのが、今回の二つめの反省点でございます。
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曲のKeyは最初がC minor〜C Major。
インタールードで転調して後半はEb minor〜Eb Major。
更に曲尾で半音上げしてE Major。
スチール・ギターのチューニングは以下の通り:
曲尾で半音上げするのはオリジナルに倣った展開で、私はここを(4弦ベースの最低音がルートになる)E Majorにしたかった。だからその前段はEb key。
更に私は、ラップ・スチール用参考音源を作る場合は、できるだけ5度間隔くらいの転調を曲中に設けるようにしてます。歌のメロディーをなぞり弾きするだけの作例でも、転調があると楽器の音域(ポジション)をより広範囲に使う事になって、「手放す楽器の音を記録する」という意図からすると、そうした方が好ましい。ついでに、自分にとっての練習にもなりますしね。
となると、Eb keyのさらに前段はAbかBb。しかしこれがルートのminor keyはいろいろ面倒なんで、じゃあまあC minorあたりにしときましょうかねというような理由で転調プランを決定。このkeyの組合せを弾くのに都合がよいものとして考案したのが上記譜例のチューニング。8弦C76の上6本を短3度上げたものです。
520mmというショート・スケールに対してゲージ009〜の弦を張ってるので、トップを標準のEより3度くらい引き上げるべきかもと、そういう考えもありました。
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ベースにはスポンジ・ミュートを使用してます。↓のようなセッティング。
たしかにスポンジ・ミュートではあるけれど、これじゃない感もずいぶんな、ともかく今回のベースはこうやって作った音。
スポンジ・ミュートは、なかなか意図通りの音になってくれないです。とりあえずサスティン短く、アタック丸くなってくれさえすればOKだけど、もっと60年代そのまんまな音にしたいなら、どうすべきであろうか?
ブリッジ・カバーにスポンジを詰め込むJJ式が、結局のところは一番合理的なのかも(弦の上側からスポンジを当てる)。しかしYAMAHAのブリッジは幅が広くて、プレベのカバーは使えない。
というよりやはり、スポンジよりもフラット弦を用いる事の方が重要なのかも。認めたくはないが。だってそうなると、フラット弦を張っておくためのベースがもう一本必要だという事になってしまうじゃないですか。
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なお、現在も歌手業継続中のアグネス・チャンですが、ある時期以降、とくに彼女の政治的活動に対する非難が各方面から絶えないのは皆様もよくご存知の通り。しかし私は、アイドル歌手としてのアグネス・チャンが残した作品群の価値と、政治活動に関わる云々とは、全く別のものだと考えたい。彼女の歌に対する評価が政治云々によって曇らされるのは、もったいないと思いますので。
アイドル歌手の楽曲は、その歌手一個人の作品なのではなく、制作スタッフ各位の尽力によって生み出され、とくにヒット曲の場合は、それをヒット作たらしむまで押し上げた大勢の人々の総意も歴史の一部として、曲の名とともに記憶されている。ヒット曲とはそのような性格の存在なのですから。
なんですけど、歌と政治は別物と割り切るのも、とくに彼女の場合はやはり無理かも。当稿は最初、この方面についても何かしらを書く計画でしたが、メンドウくさくなったので中止。ただ準備段階で調べたまめちが少しあって、それも一緒にボツにするのはもったいないから以下に軽く書き並べておきます。
1971年 | アグネス・チャン、香港でデビュー |
1972年 | 日中国交正常化 |
| 同年末、アグネス・チャン日本デビュー |
1973年 | 交通安全運動の標語、せまい日本そんなに急いでどこへ行く |
1975年 | 米NBC製作のドラマ「大草原の小さな家」、NHKで放映開始 |
1978年 | 日本テレビ、「西遊記」を放映開始 |
1980年 | この頃から中国残留日本人孤児が社会問題化 |
| 同年4月、NHK特集「シルクロード」放映開始 |
1981年 | 残留孤児の訪日肉親探し開始 |
1985年 | 中曽根内閣、施政方針演説で「戦後政治の総決算」を標榜 |
なんで「大草原の小さな家」がここに混ざってるかというと、70年代アイドルのシンボルの一つであるすずらん袖ブラウス、あれ実はアーリー・アメリカンの意匠なんですよと無理解釈すると、それが70年代後半にテンガロン化するのも自然な流れに思えてくるじゃないですかというでむぱを補強するためのまめだからです。アグネス・チャンの歌の背景にある「草原」とは、中国ではなくアメリカのだったのか?
アメリカの西部開拓物語は、日本でもある時期までは一定の人気を保っていたコンテンツだったですけど、ガン・アクション系、マーク・トウェイン系ジュブナイル、南北戦争系といった諸々に加えてファミリー・ドラマ系という新種が70年代後半に登場し、それが日本でもけっこう人気を博したりしてたんですよね。
ところで1945年時点に40才だった人は、1975年には70才。満州国に対する権益を失ったという記憶を具体的な実感として持つ人が多勢だったのはいつ頃までか?大草原 - 広大な土地 - 新天地、その開拓、といった言葉の受け止められ方には、世代間による大きな違い(断絶)があったのかも知れない。中曽根発言には、そういう面についての含みもあったのかも知れない。
73年の標語は、当時の日本人の(国のサイズという面を通しての)自己認識の一つの現れとして。これも、受け取る人によって「せまいんだから大人しくしてようよ」というのと「せまいんじゃダメだ」という真逆の反応がありうるのだけど、この頃にアメリカあるいは中国の広大さを脚色するコンテンツが高人気となった背景には、こういう下地もあったのかなという。
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