(お別れ録音)Tokai SG copy + TeiscoのPU、2013年9月

2013/10/22
(改)2017/12/**


 トーカイのSGコピーにテスコのラップ・スチール用PUを載せた改造品、というか改造途中のもの。一応SGなんだけど、ネック・ジョイントの位置を見ての通り、これはビミョーなコピー品。ヤフオクで買った半ジャンクの中古品で、昔のトーカイではなくて、わりと近年のだと思います。

 テスコのスチール・ギター用PUを普通のエレキに載せるという改造は前から一度やってみたかった事なのだけど、少なくともこのトーカイ製SGとの組合せは良くなかった。どうしたものかと思ってるうち、ネックとヘッドの継ぎ目にクラックが発生。スカーフジョイントの接合面が剥がれたのかどうか、白い塗りつぶしなので詳細は不明だが、むしろそれ幸いというか、クラックの修理をするよりか、この改造案自体を没にする事にしました。一応今回の作例を録音し、その後このギターは解体。ワイヤー・アームのビグスビーを載せてますが、これは目を楽しませるためのもので、演奏には使用してません。ペグはシュパーゼルでナットはグラフテック。サドルはローラー式。それでもチューニングの狂う度合が多すぎました。まあなんか全体的に不調なギターだったです。

今回のギターはパート数が多く、個々のセッティングを書き並べるのも煩わしいですから、Cubaseのシーケンス画面をトラック・シート代わりにして概略を示すだけにします。ギター・アンプと収音マイクは全て、
YAMAHA YTA-25→AUDIX D1

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■ベースはYAMAHA SB-800S
■プリアンプFocusrite Twin Trakを介して卓直
■コントロールの設定は、
F-VolR-VolTone
1000

■Focusrite Twin Trakの設定は、
INPUTEQComp.
INST.OFFComp=3時Slow Att=Off
Release=12時Hard Ratio=Off
Hard Knee=Off

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■バス・ドラムはAKAI CD3000XL
■パッチはAKAI CD-ROM Vol.3のTIGHT KICK (D2)
■CD3000XLのアナログ・アウトからFocusrite Twin Trakのデジタル・アウトで卓直。
■Focusrite Twin Trakの設定は、
INPUTEQComp.
LineOFFComp=2時Slow Att=Off
Level=MaxRelease=4時Hard Ratio=ON
Hard Knee=Off

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■コンガはKORG WAVEDRUM 2面
Focusrite Twin Trakを介して卓直
■Focusrite Twin Trakの設定は、
INPUTEQComp.
INSTOFFComp=記録なしSlow Att=Off
HiGain=ONRelease=ゼロHard Ratio=ON
Hard Knee=Off

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■その他のパーカッション類は、
マイクプリ・アンプ立て方
MEINL 16" AUDIX D4Focusrite Twin Trak斜め上から、距離20cm スティックはナイロン・チップ
トライアングル距離25cm
エッグ・シェイカー20〜30cm

■Focusrite Twin Trakの設定は、
INPUTEQComp.
MICONOFF
Imped.=1k6Freq=250Hz
Deep=ON

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■エレピはevp73。設定は以下の通り。

■PSP Vintage Warmerで少し歪ませてます。設定は以下の通り。

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■録音期間;
Tokai SGは2012年8月26日
その他は2013年9月1〜17日


今回のお題はスティービー・ワンダーのRocket Loveでした。1980年のアルバム"Hooter than July"の3曲目。

 S.ワンダーの曲が他の歌手にカバーされる事は当然多いのだけど、インストものとして取り上げられる事も多い、ような気がする。一番有名なのはジェフ・ベックの"Cause We've Ended As Lovers"であろう(ちなみにこの曲はStevie Wonder Presents Syreetaというアルバムの曲で、S.ワンダー自身が歌った音盤は存在しない)。
 私的に一番聴き馴染みがあるのはキング・カーティス・キングピンズの"Signed,Sealed,Deliverd I'm Yours"で、この曲は(キングピンズ人脈が一部含まれてる)Stuffも演ってるし、C.デュプリーは、その後のソロ活動でも度々この曲を演奏した。
 そのStuffは、2ndアルバムで"As"、3rdアルバムでは"Love Having Your Around"を取り上げたし、ライブではやはり"Signed,Sealed, ...."の他、"Boogie On Reggae Woman"なんかも演っている。
 ローランド・カークは"My Cherie Amour"を演ってる(アルバム"Volunteered Slavery")。

 あとは……と改めて考えてみると、他にはとくに思い付けないかな?私にとってはStuff〜C.デュプリーが演ってるというだけで注目度は10倍増しだから、それで沢山インスト化されてると錯覚してただけだろうか。それに、キングピンズやStuffがS.ワンダーを取り上げる事が多かったのは、ヒット・メーカーとしてのS.ワンダーの人気絶頂期とキングピンズ〜Stuffの活動期が、たまたま重なってたからに過ぎないのかも知れない。

 とはいえ私には、やはりS.ワンダーの曲はインスト化するのに向いてるし、上記に挙げた曲の他にもインスト化したら良さそうな曲は、まだ沢山あるように思える。そこで今回は"Rocket Love"を、ちょっとお試しバージョン的に演ってみた次第です。
 また、私はこの曲を15年くらい前に一度採譜したのだけど、どうしても音が取りきれない、コード付けに腑に落ちない個所があって、よく分からないやでうっちゃっといた。それを再度きちんと検討し直したい気持ちもありました。採譜にDAWを援用するようになって以来、より正確に音を取れるようになってる(はず)ですし。

 "Rocket Love"に限らずS.ワンダーの曲の中には時々、採譜してみると意外に手こずる、というか困惑させられる曲がある。ネット上の親切サイトにはコード譜がUPされてたりもするから試みにそれの通りに弾いてみると、たしかに間違いではないのだけど響きの感じは全然似てない、というような事もある。
 何故そういう事が起こるかというと、S.ワンダーのコード付け、あるいはバンド・アレンジには、いわゆる音楽理論では間違ってるとか使ってはいけないとされる音が、時々しれーっと紛れ込んでるからではなかろうか?しかしそういう音は、たいていはオケの背後で目立たないように鳴ってるため聴き逃される事も多かろうし、仮に聴き取られたとしても、コード記号という簡略化のための記法の中に、そういう音が存在するという情報は組み込みにくいものである。

 という推測が本当かどうかもよく分かりませんが、ともかく"Rocket Love"は、その「間違ってる」っぽい音が入ってる曲で、15年前はその部分が上手く聴き取れなかった。今回改めて採譜してみたところ、DAW援用で精度向上してるけど、やはりちょっと確信は持てない。けれどその間違ってるっぽい音を取り除いた仮オケと、採譜結果通りのとを聴き比べると、取り除いてない方がオリジナル音盤の響きに近いので、だからたぶんこれで間違ってないのだろうと、まあそんな採譜結果に基づいてオリジナルを若干アレンジし直したのが今回の作例です。

 S.ワンダーの曲になぜ時々、これちょっと間違ってるんじゃないかと思われるような音が混ざってるかというと、それは当然「作曲者がその音でなければならないと決めたから」と考えるのが第一だけど、そうではなく、S.ワンダーがほぼ一人で、MTRにヘッド・アレンジを録り重ねる方式でトラックを作り上げてく過程の途中で発生したゴチャゴチャが”訂正”され切らないまま完成品としてリリースされてしまう事が時々ある、という可能性も考えられる。

つまり例えば、ベースを録って、次にキーボードを重ねる。その時にコード・チェンジを変更する事にした。となるとベースも録り直すべきなのだけど、後にしようとか思ってるうちに、これはこれで良いかもと思えてきて、あるいは録り直すのをうっかり忘れてて、あるいは時間切れで、そのまま完パケてしまう、みたいな事が時々生じてるのではないか?

 しかしどのみち、そのトラックにGOサインを出すのはS.ワンダーなのだから、リスナー側は「間違ってるぽい音」の混入が計画的なアレンジに基づくものなのか、それとも偶然の産物なのかについて気にする必要はない。その曲の響きを不快に感じるなら、聴かなければ良いだけである。
 私にとってはどうかというと、"Rocket Love"から、その「間違いかも」な音を消すと、この曲の響きの特徴は少なからず損なわれ、ごく平凡で味気ないものになってしまうと感じる。カバーはオリジナル通りでなくともかまわない。アレサ・フランクリンの"The Weight"だってカバーなのだし、「間違ってるっぽい音」を取り除いたS.ワンダーのカバーがあってもかまわないのだけど、私は、彼が選び残した音は出来るだけ尊重すべきと考える。

 いわゆる音楽理論に照らして間違いかどうかなど、本当は気にする必要は無い。モーツァルトのハイドン・セットNo.6の冒頭部分やワーグナーのトリスタン和音など、発表された当時は色々論難されたけど現在の私たちの耳で聴く分には何の不都合もない、というような例は多数あって、つまりいわゆる音楽理論とは私たちの聴経験を後付け的に説明するためのものであり、今日新たに生まれたばかりの響きを説明するためのものではない。従っていわゆる音楽理論は、未だ聴かれた事のない新しい響きを生み出すためのものでもない。以上の事から結論されるのは、いわゆる音楽理論は充分に耳の良い人にとっては不要なものだ、という事である。
 「充分に耳の良い人」とはどんな人かというと、現在既に在る曲に対して、その中ではどのような法則がどのように作動してるのか、それを聴いただけで理解出来る人である。
 しかし大抵の人の耳の能力は(程度の差こそあれ)不充分であるから、その不充分さの度合に応じて、いわゆる音楽理論のお世話になる必要がある。

 だから音楽をする人が目指すべきなのは、このいわゆる音楽理論に習熟する事ではなく、こんなものを必要としない状態に自らを導く事である。音楽をする事の理想像は、そちら側にあるのだ。ところが音楽を「教える」と称する者や、それを生業とする者、あるいは「音楽をやってる人の役に立つ事を書いてます」などとの看板をWeb上に掲げてる者の多くがしばしば、理想とは逆方向に生徒を導こうとするのはどうしてなのだろうか?
 そういった手合いから音楽を習うのは、例えて言えば自転車に乗れない人が自転車教室に通ってみたら、そこで教えてるのは補助輪付きの自転車を上手に乗りこなすための技術だった、というような状態だ。そして、そこの先生達にとって補助輪無しの自転車に乗るのは「間違ってる事」だそうなのだ。
 とまあそういう自転車教室が本当にあったとしたら、そこの先生達はたぶん、というか十中八九、補助輪無しの自転車には乗れないのであろう。あるいは自転車は本来、補助輪無しの乗り物だとさえ思ってないかも知れない。そして、補助輪付き自転車にしか乗れない教師に指導された生徒は、けして補助輪無しで乗れるようにはならないし、それどころか本来、補助輪無しで乗れる素質を持ってたはずの生徒も、補助輪が必要なままの状態に押し留められてしまう可能性が高い。
 つまり、技芸の劣る者は教育者としても二流である。そのくせ「人の役に立ちたい」などと親切ごかして擦り寄ってくるのだからタチが悪い。二流どころか疫病神にも等しい。

 ところでつまり、いわゆる音楽理論とは自転車の補助輪のようなものなのだけど、メトロノームとか自動伴奏作成ソフト等々、音楽用の補助輪的なグッズは他にも色々ある。録音機だって、多重録音とか何度でもやり直し可能とか切り貼り編集とかのとても便利な機能を備えてるなら、やはりそれも立派な補助輪。私にとっては多機能で便利な録音機は絶対に必要なもので、これ無しでは何も出来ないとさえ言える。いわゆる音楽理論と同じで、自分の耳の能力の不充分さの度合に応じて利用してるわけです。

 メトロノームその他についても、それらをどう利用するかは、まあ人それぞれの考え方はありましょうけど少なくとも、「リズム練習の基本はメトロノーム」とか言う人は音楽観の根本がおかしい。メトロノームはそういう使い方をするためのものじゃないのに。
 DAWソフトも、それが使えれば「音楽を作れる」というニュアンスの宣伝をするのは(そのニュアンスの中身次第によっては)詐欺類似の行為だ。DAWがどんなに多機能であっても、それはあくまでも録音機なのでしかない。即ち、イモが録音を行えばイモな録音物が作成される。パソコンソフト音楽を作るのではない。そういう補助輪的なあれこれを「使わなきゃダメだ」と決め付ける人や、そういうのを使えば何かとってもステキな事が起きるみたいに吹聴する人とは関わり合いにならないのが賢明です。


今回の反省;

 メインのギターを録ったのは2012年8月。バックのオケは2013年9月。一年も間が空いてしまったのは、メインの演奏のデキが酷すぎで放置してたからです。しかも、この録音をした事自体を忘れてたくらいの放置っぷりで、つまりまあ忘れてしまいたいくらい酷いデキだったのでございます。そこまで悪くなってしまた理由は、

1.リズムが難しい
2.キーがやり辛い
3.ギターの音色がショボい
4.トーカイが弾き辛い

等々、多数あります。でもこれ、テスコ類を用いた他の作例と概ね同じ事情なんですよね。しかし私の事前の見通しでは、S.ワンダーの曲の中でも(リズム面が)一見平坦でこなし易そうな"Rocket Love"を、テスコ類よりはずっとマトモな楽器であるはずのトーカイで弾くのだから、とくに問題は無いだろうと考えてた。しかしそれは甘かった。S.ワンダー本人はサラっと歌ってますが、これをギターで弾いてみたら大変。「どういうノリ方をしたら良いかが分からない」的な立ち往生を久しぶりに体験しました。実は完成テイクのリードは、切り貼り編集でかなり修正してあります。それでも結局この程度。採譜に手こずらされるがリズム面でも手こずらされる。スティービー・ワンダー恐るべし。まいりますぜよ。

 キーについては、オリジナルは前半がAb minor、後半が半音上げのA minor。それで私は転調無しのAb minorだけで一曲を通してます。転調しないならAbなんてやり辛いキーではなくAナチュラルにするべきでしたよね。オリジナルだって、後半に転調するが故の前半Ab minorなんだろうし。もともとは転調プランもオリジナルと同じにするつもりで録音し始めたのだけど、しかし前半を録り終えた時点で、そのあまりのデキの悪さに嫌気が差し、後半の半音上げとかはもうどうでもいいやで撤収。
 歌あり歌詞ありのオリジナルでさえ後半転調して単調さを紛らしてるのだから、それをインスト化するなら更にもう一工夫が必要なくらいなのに、私が作ったのは転調無しの2 verses/約3分間。非常に内容空疎なものが出来上がってしまいました。

 ギターの音色に関しては、伴奏のアルペジオの音は悪くないと思うのだけど、クリーントーンでリードを弾くには役不足だったと思う。DAWでRoom系リバーブを足しエレピで中域を埋め、それでなんとか聴ける状態にしたつもりだけど、化粧なしの素の音はかなりショボい。指先でカリカリ引っ掻いてる成分が目立つ、金属ピックガードのマイナス面の方が強調されてしまったような音でした。

 それでこのギターの改造ベースであるトーカイも、何だか妙に弾き辛かった。ただしこれは改造品で、つまりこの製品本来の状態ではないのだけど、ネックは無駄に太く、フレットも太く(ややジャンボ)、しかし形状が悪いのか指が引っ掛かって弾き辛かった。
 別のギターを使ってたら、録音結果も違ってたかも知れません。でも今回のは「試しにやってみた」版なので、この曲は(もちろん今回とは別のギターで)録り直す可能性は高いです。

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 ライド・シンバルはサンプラー等ではなくMEINL 16" を用いました。この曲を録音した時点ではまだハイ・ハットは入手してなかったので、今回はライドだけ。というか、今回録ってみた結果、やはり(というより予想以上に)生シンバル良いぞ☆と思えたので、だったらハットも買っとこかという話しになったのですね。

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 WAVEDRUMはライン録音してるのですが、FocusriteのINST.INに入れ、HiGain SW=ONでゲイン・ツマミはフルアップ。それでもレコーダーには充分にレベルが入らないので、更にコンプでもゲイン上げしてなんとか録ってるという状態。ちょっと何かがおかしいです。前回のHG-86B〜ひとり上手のダラブッカも同様ですが、WAVEDRUMを手で叩く用法での録音は現状、上手くいってません。WAVEDRUM本来の音はもっと良いです。次に録る時は卓直ではなく、スピーカーで鳴らしたのをマイクで拾ってみるつもり。

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 evp73はPSP Vintage Warmerで少し歪ませ、更にRoom系のリバーブも足してますが、やはりと言うべきか、マイクで拾った音との位置関係がおかしいような気がする。これもWAVEDRUM同様、次回からはマイクで拾う式で録ってみるかもです。

 ただ、電化鍵盤楽器というカテゴリ内での私にとっての重要度は、ローズ系エレピよりもハモンド・オルガンの方がずっと上なので、今後evp73を使う機会は少なさそうで、使ったとしてもちょっと添え物程度かも。となると録音方法の工夫も、あまりしなさそう。とはいえ、マイクで拾った音とソフト音源との位置関係がイマイチなのはNATIVE INSTRUMENTS B4 でも同じだろうから、それをマイクで拾ってみる等の試みは、B4に対してこそが重要になるのだとは思います。


 という事で、私の宅録作業での使用頻度は低いだろうと予測されるローズ系エレピですが、好きか嫌いかで言ったら、私はこれの音が大好きなので、以下に私にとってのエレピの音がとくに印象深い音盤をいくつか並べておきます。


Eagles "New Kid In Town" (1976)

 まず最初はイーグルスの"New Kid In Town" 。この曲でのエレピはイントロのフレーズを少し弾いた後はバッキングの埋め草をするだけの脇役です。しかし、もしそのイントロのエレピが別の楽器だったら、曲全体の印象もかなり違ってしまうのではなかろうか。「ちょっと鳴らすだけで充分効果的」。エレピがそういう使い方をされた好例の一つではないかと思うのです。

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Nino Rota "L'Uccello Magico" from "IL CASANOVA Di FEDERICO FELINI" (1976)

 映画「フェリーニのカサノバ」は1976年の作品。私が見たのは高校生の頃にリバイバル館でだったからずいぶん昔の事だけど、けっこう強く印象に残ってます。とはいえもう一度みたい程ではない、それほど面白い映画でもないかな。でもこの中で使われてる"L'Uccello Magico"だけはちゃんと聴き直したくて、90年代のいつ頃だったか(つまり映画を見てから10年以上も経ってから)サントラ盤を入手しました。サントラ盤というか、"Best ob Nino Rota"という音盤。

You Tube "L'Uccello Magico〜機械仕掛けの鳥"

 カサノバが性交する時に必ず掛けるオルゴール、というのがこの作中には設定されてて、「機械仕掛けの鳥」は、そのオルゴールの曲。「冷たく硬質で人工的」という、エレピの音色の持つ一側面(柔らかいとか暖かいとか、中産階級的親密さに相応しいとかとは真逆の側面)が効果的に利用された好例ではないかと思います。

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 ところでエレピが印象的な音盤の代表例といったら↑の2枚をまず挙げるべきなのかも知れないけど、私的にはあまりそうでもない。

・"You Are My Sunshine"は、エレピの音というよりステレオ・パンの効果の方こそが印象的。発売当時にラジオで聴いてた人にとってはそうではないのかもだけど、ずっと後になってからCD経由で知った私にとっては、そういう捉え方になってしまう。
・リチャード・ティーは生ピアノこそが良いのであって、エレピは余興みたいなもの。もちろん彼のエレピもすごく良いんだけど、少なくとも最近の自分にとっては、是非ともお手本にしたい対象ではなくなってしまった。

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一方、エレピを前面に押し出した用例の中で私が好きなのは↓の2枚。

 しかしこの二人が用いてるのはウーリッツァーらしいので、となると私はローズよりもウーリッツァーの方が好きなのか?「プアマンズ・ローズ」などと揶揄されもするウーリッツァーですけど、アタックが丸く、サスティンがぶよーんと膨らむこの音、私は好きです。
 しかし、私の使ってるソフト音源ではウーリッツァー型の音は出し辛く、それなら逆に(ウーリッツァーには無い)ベル成分を多めに設定したローズの音を「ちょっと添え物」程度に使うに留めよう、という発想になってるのかも。

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日本代表の1枚


金井克子 "他人の関係" (1973)

 でも、この曲でのエレピも「ほんのちょっと」しか使われてない。しかも、歌の合いの手係の主力はアルト・フルート+ヴィブラフォンで、その補佐役として単音フレーズを2回だけ、ちょろっと弾くだけという使われ方。しかしそれがやたらとカッコいいんですな。
 これにしてもこの曲のアレンジャーは、なんでこういう楽器の組合せ方にしたのだろうか?ヴィブラフォンとローズとではキャラ被ってるから、どちらか一方だけで良さそうなものです。もしかしたら、最初の予定ではローズは無かったのかも知れない。しかしヴィブラフォンだけだとなんかイマイチだったので、後日部分的に差し替えたとか?


オマケの雑文、Eagles "New Kid In Town" に付けたり;

 この曲が発売されたのは私が小学6年の時で、だからラジオから流れてくるヒット曲の一つとして知ってたし、好きな方の曲でもあったけど、その時はエレピの音をことさら意識するのでもなく、翌年にはもうこの曲の事は忘れ、以後は思い出す事もなかった。
 次に聴いたのは1990年。ソビエト旅行に行く際に乗った客船のラウンジで、この曲がBGMとして流されてたのです。現在は国名が変わってロシア共和国その他。しかしそうなったのは翌91年以降で、ここでの話しはその、国家体制が崩壊する直前の社会の雰囲気が重要な背景ですので、あえてソビエトという呼称を用います。

 ともかく私は1990年にソビエト社会主義共和国連邦を旅行した。ソビエトへの旅、それは一種のタイム・トラベルなのでもある。どういう事かというと、1957年、ソビエトは世界初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功。つまりその頃はソビエトもアメリカと充分タメ張れる超大国だったのが、その後ずるずる後れをとり、やがてどう足掻いても追いつけないくらい差が開き、そして91年に清算されてしまった。60年代くらいからソビエト社会は停滞し始め、部分的には70年代くらいまで頑張ってもいたけど、まあ概ねそこら辺で成長と変化が止まってしまった。ソビエトはそういう世界だったです。その停滞感は、工業製品とかインテリアデザインとか日用雑貨とかの「物」の形の面にも隠しようもなく現れ出てしまってるため、旅行者の目にも分かりやすいのです。
 現在の北朝鮮空軍はビンテージ戦闘機の宝庫で、ミリオタからは逆にすごいわと思われてる。1990年のソビエトは流石にそこまで物凄くなかったですけど、つまり停滞した国家とは多かれ少なかれそうなっちゃうみたいですね。

 まあ、私がソビエトに行く時に乗ったというのは横浜から出航してロシア極東沿岸のナホトカ(北朝鮮国境のわりと近く)に着く船で、つまり最初に訪れたのがソビエトの中でも最も辺鄙なエリアの一つだったから、余計にそうだったのかも知れませんが。

 ナホトカから列車で半日北上し、極東最大の都市の一つ、ハバロフスクへ。そこのホテルのエレベーターの階数表示灯は分厚いガラスの中に0〜9の数字を象ったニクロム線が詰め込まれてる式で、(この説明が通じるのは古い世代の人のみでしょうけど)、それを見たアメリカ人旅行者が、
"Movie scene...."
って溜め息ついてましたよ。
 自動車のシフトレバーにはカラー・アクリルの丸いボール、しかも細かいひび割れがビッシリ中まで入ってるやつ、懐かしいですよね?70年代にありましたよね?あれが普通に現役で取り付けられてました。
 しかし、真空管式ステレオアンプの音の良さを私に初めて教えてくれたのはソビエトであった。だってホテルに備え付けのオーディオが真空管式なんですから。外国人旅行者はかなり高級な方のホテルにしか泊まらせてもらえません。そういう規則だったのです。だから部屋の中の調度品もそこそこ良い方なはずなんだけど、ちなみに1990年時点での西側世界では今日的な球ブームなんてまだ全然なかった頃ですから、ソビエト側だってオーディオマニアのために特別に管球アンプを用意したとか、そんな配慮のあるわけもなく、60年代頃からのものが置きっぱになってただけですわ。しかしそれが実に良い音だったんだな。

 とまあそんな世界へ向かう途上の船中、だからまだソビエト上陸前だったですけど、そこそこ高級な客船の、それなりに高級っぽいラウンジで流れてたのがイーグルスだったわけです。これは衝撃的だったですよ。1990年時点の記憶が明確にある人はよく思い出して欲しい。その頃のロックとはまだ、現在のような高齢者世代のための懐古音楽ではなかった。往年の著名バンドを再結成させて稼ぐコンテンツ再利用産業ではなかった。1990年のヒット曲 洋楽で検索してもらえば、まあ今の耳で聴くとかえってこっちが懐メロなんだけど、ともかく当時流行ってたのはそういう音で、イーグルスの話題なんてひとかけらも無かったよ。みんな完全に忘れてたよ。ところがソビエトに向かう途上で突然、不意打ちのように、しかしその環境の中ではむしろ当たり前のように、この曲のイントロが聞こえてきた時の印象は忘れられない。俺は今、いったい何処へ行こうとしてるのか?そしてこの音色。停滞し、崩壊しつつある社会の中で聴く"New Kid In Town"は、この曲がもともと持ってる、なんともやり切れない倦怠感が更に強調され、と同時に70年代へのノスタルジーを強烈に引き起こす。

 とまあそんな極めて個人的な特殊事情があるせいで、この曲は私にとって特別なものなのです。そしてエレピの音は、聴く人を懐古と無気力さへ誘い込むサウンド・アイコンとして、私の心に擦り込まれてしまったのです。


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