mosrite Joe Maphis
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これはモモカワ君の所有物で、現在使用中のものです。

モズライトといえば日本のエレキ文化と日本製エレキに大きな影響を与えたブランドですから、当コーナーにもその画像を是非とも揃えたいという事で、モモカワ君から貴重な(しかもJoe Maphisという変わり種)資料を提供して頂きました。


この楽器、本来はコントロールが1V/1Tの2ノブなんですが、モモカワ君はトーンを外して使ってます。その他マーキングや装飾(シール)が施されてますので、外観は完全なオリジナル状態とは少し違ってる点があります。

モズライトそのものについて僕自身はとくに詳しくなく、せいぜい
ベンチャーズ・モデルはソリッド
☆f穴のあるコンボはセミアコ
だよなーくらいの認識で。

このJoe Maphisは、f穴はないのですがボディ内部は空洞の、実はセミアコのエレキです。表側はスプルースか何かの針葉樹、裏側はマホガニーか何か、とにかく南洋系の木材という組合せ。モズライトの中でもかなり異色な方の製品。製造されたのはたぶん1967年(販売店の説明およびパーツ形状から推定)。重量は約4.1kgです。

ちなみにJoe Maphisさんとはこういう人

セミアコなんですがf穴が無いので、ハウリング等に悩まされる事は無いようです。ライブの時モモカワ君はかなりの爆音で鳴らしてますね。

実は現代の日本で「モズライトを使い続ける」というのは結構大変というか、面倒な思いをする事が多いらしいんです。普段普通に使っている分には別に無問題ですが、パーツ交換とか修理とかの必要が生じた場合が厄介なんだそうで。
まずそもそも、リペアショップに楽器を持ち込んだ時点で、「モズライトなんですけど……」と言った瞬間、

店の人が逃げ腰になる

「モズライトだけは勘弁してくれ(触れたくない)」みたいな雰囲気が濃厚に漂うんだそうです。なんでそういう事になってしまっているかを説明するのは厄介というか、「触れない方がよい問題」みたいなところがあるらしいので、僕もあまり詮索しない事にいたします。


そんな世間の風当たりの強いモズライトですが、中にはちゃんと面倒を見てくれる親切なリペア・ショップもあるわけで、この楽器にはフレット打ち直しや摺り合わせ・ペグ交換・配線のやり直し等のリペア歴が色々あります。

現在ペグはGOTOHのマグナム・ロックが付けられています。オリジナルはポスト先端が二股に分かれているやつ

ブランド・ロゴの、ギザギザの付いた丸の中にMの字のマークが、いかにもアメリカンな感じ。ヘッド先端の、これもMの字を象った切り込みもモズライトの象徴(なんだろうな、たぶん)、日本製コピー(もどき)モズライトのヘッドにこの切り込みを入れてしまう強者(愚か者)も、かつては大勢いたみたいですね。


アームも鋳造で出来ているモズライトのトレモロ・ユニットは高級感が素晴らしい(このアーム、製造時期によっては非常に折れやすいものがあるそうです)。
モズライトのトレモロ・ユニットと一口に言っても、実は3種類くらいあるらしいです。

ブリッジを乗せるナットは凸レンズ状のものを使うのがメーカー本来の設計ですが(あまり良い例ではないがグヤのものを参照)、現在は「ブリッジはしっかり固定するべし」という考え方が主流。モモカワ君もブリッジの上側からナットで固定した状態で使用中。
この他バネを交換したりペグをロック式に変えたりと、「モズライトのトレモロ・ユニットを使える状態に調整する」のも、色々ノウハウがあるようです。

モズライトはフェンギブに比べ弦間ピッチが狭いので、誰にとっても弾きやすいギターという訳ではありません。この問題さえなければ僕もモズライトのトレモロは是非使ってみたいものなのですが。


モズライトと言えば、ジャーマン・カーヴ

と言い切って良いのかどうかわかりませんが、60年代当時の日本人にとって、これはなかなか印象深いものだったんだと思います。リッケンバッカーにも一部ジャーマン・カーヴありのモデルがありますから、高級なギターにはジャーマン・カーヴが
なくてはならぬ!
みたいな思い込みに取り憑かれたのか、モズライト・シェイプではないギターにもジャーマン・カーヴは採用され、しかも日本人ならではの精密感のある木工技術の冴えが発揮され(もう一例)。なんですけど、本家の方のジャーマン・カーヴは案外あっさりしたものでした。

モズライトの場合はそれよりも、ボディ・トップが緩やかにアーチドしていて、全体に肉厚な感じがするのが日本製品との大きな違い(Joe Maphisがセミアコだから、ソリッドのベンチャーズ・モデルとかよりもボディは厚いかもしれません)。

まあ本家本元の正調ジャーマン・カーヴと比べるとモズライトなんて全然すっきり洗練されたデザインなので、これはむしろ(広い意味での)50年代アメリカの流線型に属する産物だったのかも知れません。


60年代の日本製エレキに大きな影響を与えたと思われがちなモズライトですが、テスコやグヤが50年代〜60年代の前半ぐらいまでに作っていたのはレス・ポール(もどき)あるいはジャガー(もどき)みたいなものばかり。

ベンチャーズが登場して初めてモズライトを知って、でもエレキ・ブーム期にはまだモズライト・コピーは登場せず、66年のビートルズ来日を境にテケテケが廃れだして以降、ちょっとずつモズもどきが現れ始めます。ゼンオン・モラレスの登場するのが68年頃でしたでしょうか。

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日本製エレキの製品史をごく大雑把にまとめてみると、

■創生期から1965年くらいまではレスポもどきジャガもどきが主力、だったのが
1966年あたりを境に、
Teisco KSpectrum 5グヤ・シャープ5ヤマハ寺内SG等の日本独自路線が強力に打ち出され、
■しかし同じ時期にモズライトの(もどきよりかは多少忠実な)コピーが作られ初め
■モズのライセンス生産なども試みられ
■エレキ・ブーム沈没=日本独自路線の滅亡で、
■その後は数年間の模索の期間を経て圧倒的にフェンギブのコピーが主力になる

という流れになってますでしょうか。そうして見るとモズライトとは、60年代の日本のエレキに対してではなく、70年代コピー期の前駆として大きな役割を果たしていたように思えてきます。

2007/08/10
(改)2007/09/22
(改)2007/10/06


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