YAMAHA AE-2000
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 70年代末からの数年間、いわゆるヤマハ黄金期の製品ラインナップ中最も高価な製品、フルアコのAE-2000です。定価が20万円もするんですよ。発売開始は1978年12月。販売終了は1990年。
 この画像の個体はピックガード欠品。金属パーツのメッキもだいぶ傷んでます。

ヤマハのフルアコの製品史を大まかにまとめ:
1967年10月最初のフルアコAE11が発売開始。71年まで販売。
1972年12月AE12/18が発売開始。76年まで販売。
1978年12月AE1200/2000の発売開始。
78年の12月という事は、実際には翌79年の新モデルと見なすべきか?ともかく、AE12/18が販売終了した後の77〜78年の2年間ほど、ヤマハの製品ラインナップ中にフルアコが存在してなかった期間があったわけです。
1989年4月AE1200が販売終了し、AE1200SII発売開始。91年まで販売。
1990年AE2000販売終了。グレッチ式フルアコ(ブリッジの下にブロックがある)のAES1500発売開始。
1991年11月AE1500発売開始。94年まで販売。
1997年10月AEX500発売開始。AEXシリーズは1ハム+ピエゾのフルアコ。

 フルアコというのは基本、ジャズをやる人しか買わないものです。現在ではブルース/ロカビリー/スカ/ファンクその他色々なジャンルで用いられる機会も増えてますけど、80年代頃はそうではなかった。とくに2ハムでトレモロ無し、しかも定価20万円もする高額商品となると、これはジャズ用途限定の性格が強い。だからヤマハのAEシリーズは、元々それほど数多く売れる性格の製品ではないうえに、ジャズ愛好家には保守的で権威主義的で、舶来品崇拝の傾向が強い人間が多い

みたいに言うとカドが立つなら、
「ジャズ用のギターはフルアコしかない、と思い込んでる人の多くは保守的で権威主義的云々」
という風に、多少軟化した言い回しにしてもいいですけど。

 保守的な方のジャズ愛好家が思い浮かべるフルアコといえば、ウェスの使ってたGibson L-5かジム・ホールやジョー・パスの使ってたGibson ES-175か、ともかくギブスン。「ジャズやるならギブスンよ」みたいな事をノタマう類の人にとってはヤマハの、というより日本製ギターの全ては「ちゃんちゃらおかしいもの」なんじゃないでしょうかやっぱり。しかも日本製なうえにヤマハ独自色をも打ち出してるのがAEシリーズですから、これはずいぶん不人気だったのではないかと思われます。77〜78年にフルアコの販売が一時停止してたのも不人気ゆえではなかったかと。

現在の中古市場での出現率からしてもAEシリーズは、おそらくほとんど売れてなかったと推測されますが、日本のその他のメーカーと比べるとどうかというと、グレコのフルアコなどはヤマハと比べても更にタマが少ないですから、ヤマハのフルアコは、日本製のものとしては売れてた方なのかも知れません(テスコだのグヤだのの60年代物は別扱い)。
日本製フルアコのヒット作といえばIbanezのジョージ・ベンソン・モデルが唯一の例ではなかろうか?

 同じヤマハでもSGシリーズは大量に販売され、しかも現在の中古価格は近年のじゃぱびん煽りもあり高中信者の買い支えもありで「割高」な品物になってしまってます。しかし中古品として売りに出る機会のほとんどないAEシリーズにはプレミアが付いておらず、ごく普通の中古品並みの値段で入手出来るのはありがたい。もっとも、ずいぶん不人気だったに違いないAE、しかも定価が20万円もするAE-2000を当時購入した人が少数ながらもいるからこそ、現在の私が中古品を手に出来るわけで、これもほんと有難い事であります。

 ところでStuffが初来日したのは1978年11月。それまでゴードンはプレベ、コーネルはテレを使ってましたが、来日以降にBBとSJに持ち替えます。BB-1200の発売開始は77年12月ですが、SJはAE-2000と同じ78年12月。
 ですのでヤマハとしてはE.ゲイルにはAEを使って欲しかったんじゃないかと思います。思いますというか、当然そういう働きかけはしたでしょう。もしもゲイルがAEに持ち替えていたら、販売実績もずいぶん違ってたかも知れません。
 しかしStuffはドラムの二人もヤマハなわけです。鍵盤楽器部門ではローズやハモンドのクローンは作ってなかったヤマハですからR.ティーは対象外ですけど、もしもゲイルもヤマ派になってしまうと、メンバー6人のうち5人までがヤマハの使用者になり、もはや完全にヤマハ製品の宣伝隊と化してしまう。私はAE-2000の所有者であり、ヤマハ製品全般に対しても好印象を持っており、Stuffのファンでもある。しかし、
ヤマハの広告塔を諾々と勤めるStuffなんてStuffじゃない!
という気がしますので、Super 400から乗り換えなかったゲイルさんは偉いぞと思ってしまうのでした。

 それで、E.ゲイルにフられた(みたいに断定してはいけないかも知れませんけど)ヤマハが選んだAEのエンドーザーはジミー・クリフ氏。

これは思いっ切り外してるというか、ぜんぜん説得力がありませんよね。逆持ちだし。ジミー・クリフが使ってる事自体はすごいか知れないけど、AEを欲しがりそうな人とジミー・クリフとの間に接点はないですから。


AE-2000の使用材について:
ネックはメイプル、トップはスプルース、と当時のカタログに記載されてます。

厳選され、シーズニングを重ねたスプルース
彫りの深い限りなくアコースティックな響きを全音域にわたって約束

等々、歯の浮くような自画自賛を連ねるのはヤマハのカタログのお約束。そのわりにはどうしたわけか、サイド&バックについての記載はありません。見た目で判断するとこれはメイプルではないので、おそらくSAシリーズでもお馴染みの「カバ+ブナ」の類ではないかと思います。
 だったらそう書いておいて欲しいものですが、AE-2000は発売当時の定価が20万円もする、かなりの高額商品ですから、ここで「カバ+ブナ」と明言するのは避けたいという思惑があったのではないかと推測されます(SA-1200s、2000sにも同様の事情あり)。

1979年4月に発売開始されたAE-1200T(AE-1200のシンライン・バージョン)からは、ボディのバック&リムはバーチとカタログ表記されるようになりました(バーチとは樺の事)。

 フルアコのサイド&バックは、これをエレキとしてではなく生ギターとして用いる場合は(合板よりも音量が大きいから)単板の方が好ましく、また楽器としての耐久性という観点からも単板の方が好ましい(1950年代くらいまでの合板は信頼性が低かった、その事によって生じた偏見も含めての好悪観)。

 しかしAE-2000は2ハムを表板に穴を開けて取り付けたタイプのフルアコですから、つまりこれはエレキとしてのみ用いる事を想定して設計された製品です。そしてアンプリファイする箱ギターのボディは、それほど「鳴る」必要はなく、むしろ鳴りすぎるとフィードバック対策が厄介。ですからAE-2000のサイド&バックは、丈夫で長持ちさえしてくれれば、その材質はカバだろうがブナだろうが、まぁなんでも良さそうなもので、これで音質が大きく変わるというものでもありません……

というのは今だから言えることで、1980年頃に20万円もする品物を売ろうという立場からすれば、「カバ+ブナ」を伏せ字にするのもしょうがなかったかなとは思います。

 ついでに、当時のカタログの画像を一部抜粋しておきます。AE-2000の表板の製法についての説明部分です。

 やっぱりヤマハってユニークなメーカーですよねっていうか、こんな伝統的な手法なんてものは無いと思うんですけどね。まあカタログの文章を作るのはヤマハの工場の人ではなくカタログ製作の会社の人なので、つまりギターの専門家ではない人が作文してるわけで、だから時たま、こういう妄想が出力されてしまうのもしょうがないかなみたいな。
 しかしこの構造だと、フルアコのトラブルとして一番ありがちな「ブレーシング剥がれ」の心配がないので、その点はすこぶる結構だと思います。

 ノミ跡を残したのは三味線の「綾杉胴」の影響か?それとも平滑に仕上げるのが面倒だったのか?↑の画像は作業途中のものではないですよ(PU用の穴等は開けられてませんが)。fホールから指を入れて内側をまさぐってみると、たしかにこういうノミ跡のあるのが分かります。


 コントロールはPUセレクタに2V/2T。ToneツマミはPush/Pushスイッチになっていて、PUをタップすることが出来ます。



各パーツ名をクリックして下さい。

2010/05/11


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