YAMAHA SL-700s
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YAMAHAのレス・ポール・コピー、SL-700sです。発売開始は1979年3月。定価¥70,000-。

 ヤマハ製レス・ポール・コピーの発売が開始されたのは1976年11月。SL-380/430/500/550/650/700/800/1000/1200の9機種で、というか価格設定が細かく9段階にも分けられており、しかも最低価格帯の2機種(380&430)はボルト・オン・ネックです(76年のカタログ画像はこちら)。

価格設定が概ね5千円刻みで細かく9段階にも設定されてるという点に「商売としての本気度」が現れてるように感じられます。いえ、それ以前からだって本気で商売してたには違いないんでしょうけど、こういうのは荒井貿易とか神田商会が使う手法(なんじゃないかな)。「コピー・モデルじゃないと売れない」という状況があったのではなく、販路・販売するためのチャンネルの奪い合いが激化してたのかも知れません@70年代の中頃。

それとヤマハのボルト・オン・レス・ポール、これ本当にヤマハの工場で生産されたものなのでしょうか?OEMの可能性もあると思うんですが(最低価格帯の2機種のために別の製造行程を設けるのは不合理ではなかろうか?)、それを確かめるためにはこれの現物を入手する必要があるのは勿論の事、同時期の他社製ボルト・オン・レス・ポールを多数入手し詳細に比較してみなくてはなりません。しかしそんな面倒な事、私には無理ですので(あまり興味もありませんし)、ヤマ派の方、あるいはこの場合はむしろヤマハのアンチの人の方が適任かも知れません、あるいは国産レス・ポールの全てを知りたいというような有志の方々、もしこの件に興味がありましたらよろしくお願いいたします。

 ストラト・コピーのSRシリーズが発売開始されたのも76年11月。1966年にエレキの製造を開始、その時から数えて10年目に、ようやくコピー・モデルに手を染めたヤマハです。そして79年にはレスポのコピーがカタログの表紙を飾る事態となり、

「コピー・モデルはダサい」「コピーをしないヤマハは偉い」と思ってた方々にとっては実にガックシきちゃう状況に陥ったわけですけれど、
(「ヤマハよ、お前もか!」という)

実は76年のカタログの表紙も、これはSGではなくレス・ポール・コピーなんです。おそらく楽器全体が写ってるものも撮影されたに違いないんでしょうけど、採用されたのはこのアングル。ですから、76年の時点での「推し」は既にコピーものに傾いていたのだけど、それを前面にまで打ち出してしまう事にはまだ何かしらの抵抗感があったとか、社内の意思統一が図れてなかったとか、まあなんかそんな感じの状況があったかも知れませんですね。

 いわゆる「ヤマハの黄金期」というのをセミアコのSA-700やベースのBBシリーズが発売された1977年以降だとすると、それはフェンギブ・コピーを開始した翌年、という事になります。一方コピー・モデルの製造を止めたのがいつかというと、ストラト・コピーは1983年に販売終了(フェンダー・ジャパン設立の影響が大きかったか?)レス・ポール・コピーの方の販売終了は85年。そしていわゆる「ヤマハの黄金期」が終了するのも概ねこの時期、80年代の中頃ではないでしょうか。

エクスプローラを鋭角にしたようなEX2が登場するのは85年。コンコルド・ヘッドにフロイド風トレモロ・ユニットを組み合わせたRGXシリーズが登場するのが86年。85年以降しばらくの時期、ヤマハはジャパメタ御用達な感じのモデルを多数ラインナップするようになります。

 こうして見ると、いわゆる「ヤマハの黄金期」とはフェンギブ・コピーと共にあったわけです。商売としての「確実性」をコピー・モデルで確保しつつ、あまり売れなさそうなオリジナル・モデルを全面に出す事でブランド・バリューを高めるという構図があり、ヤマハ黄金期を「実利」の面で支えていたのは、実はコピー・モデルだったのかも知れません。
「ヤマハのフェンギブコピー=ダサいもの」
と一言で片付けるのは簡単ですが(それにまあ、実際のところけっこうダサいかも知れませんけど)、これはこれで日本のエレキ史の中での重要な役目を果たしていたと言えるかも知れません。ですから現在これらヤマハのコピー・モデルを所有してる方は、それなりの敬意なりなんなりを以て遇してあげるべきではなかろうかと思います。

 あと「腐ってもヤマハ」という名言がある通り、ヤマハ製品は実用品としてホント普通に使いやすい楽器ですので、敬意とかは無関係に使い倒すんでも勿論OK。

ちなみにヤマハがエレキの製造を開始した1966年とは、それより以前からエレキを製造していた先行各社が、国内需要を拡大すべくモズライト等のコピー・モデルの生産を開始し始めた時期でもあります。コピー・モデルという分野では、ヤマハは他社の10年後ろを歩み、そして一足早く退却した格好になります。


 それでこの1979年版レスポコピーの愛称はStudio Lord。日本語に直訳すると「スタジオの神」あるいは「スタジオの主」。しかしこの場合のスタジオとは「リハーサル・スタジオ」かも知れない(ヤマハにとってのコピー・モデルはビギナー向けみたいな位置付けにあるから)。となるとStudio Lord=
・リハ神
・リハ主
・リハ大将
とでもいうような意味になりまっさ。あんまり嬉しくない愛称ですんで、この件は無視してください。

 ヘッドは3つコブです。この画像では分かりにくいのでカタログ画像の方も参照して下さい。1981年12月発売のSL-450S/550Sのヘッドは2コブで、84年3月発売のLPシリーズも2コブ。しかし基本は3コブじゃないかと思います、ヤマハの場合。


トップは3P。ヤマハはSGの1番高いやつのトップを5Pにしたりするので、まあ何を考えてるのかよく分かりません。杢も、なんか半端な柄のものが入ってたり入ってなかったりですね。

どうでもいい話なんですが;
私個人的に一番好きなレス・ポールはアイボリー・ホワイトのやつ。↓ですね。

いえべつに、ディメオラなんて好きでもないし良いとも思わないですけど(ただしこの人の弾くオベイションの音はすごく良いと思う)、なんかこの「かっこ悪いかっこ良さ」には憧れるっていうか(ファッション・センスも込みです)。
ですのでヤマハ製レス・ポール・コピーでこの色のがあったらitteshimauかも知れませんねー。まあカタログ上、この色は存在しない事は分かってるのでこんなことを考えるのは無駄というか、つまりどうでもいい話しなわけですけど。

グヤのマロリーもそうなんですが、私的には見た目がのっぺりしてるギターの方が萌えるみたいです。やはり「萌え」とは豊かな量感や生々しい天然素材の質感より、平面的で無機質なものにこそ宿る属性なのであるよ、なんてことを再確認。

2010/05/11


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