国立劇場●伝統芸能講座「歌舞伎」● 澤村田之助「私の歩んできた道」 |
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映画のあと休憩をはさみ、落とし切れてない白粉が鬢の辺りにうっすら残る田之助さんの登場でございます。杖を使われていたかどうか、とにかく歩くのもやっとのように感じられる足の具合はちょっと痛々しいのですが、この状態で最近でもほぼ毎月出勤、先月は歌舞伎座で三幕勤めた上に今月は「噂音菊柳澤騒動」で早替わり有りの三役掛持ち、月末にちょっと休むかどうかですぐ京都南座に向かわれるという……まあしばいの役者というのも大変な稼業ではございますね。 この会全体のお話の中身の方はというと「私の歩んできた道」という事で、子役時代から現在に至るまでのあらましを司会の人(国立劇場の芸能部長さんだったか……お名を失念)の仕切りで、かいつまんで紹介する……これは現在雑誌「演劇界」に連載中の田之助さんの記事と、まあほぼ同じ内容ですから詳細については雑誌の方を読めばいいや……なんですけれど、この連載は現在既に数十回目に達していまして、しかも「演劇界」は千円以上する雑誌なのでどうしたものか、もうちょっと待っていれば単行本化されるのではという期待もあったりして。 田之助さんは太平洋戦争終結当時は10代前半という世代の方ですので、大戦を挟んだ混乱期に生きた役者達の姿、戦後しばらくの間興行の打たれていた東横劇場など歌舞伎座以外での公演、菊五郎劇団の事、しばいの世界に見切りを付けて映画の方に行った役者さん等々の話が色々ありそうで、田之助さんのこの連載はとても面白そうなのではあります。 国立劇場の(歌舞伎役者の)養成所の先生でもある田之助さんですので、そちら方面のお話も少し出たのですが、近頃は「就職難」ということで「なんだかわからないけど国立の養成所に来てみちゃった」様な若者もいるようで、とど「歌舞伎を一度も見た事がないけど研修生をやってる輩」も出現するに至っては、 「さすがにこれは、僕もどうしたものか」 と田之助さんは、頭をポリポリかいておられましたね。 代々続く名題の家柄が主要なポストを占めてしまっているしばいの世界に、外からやって来てここで名を挙げるというのも余程大変な事と思います。養成所出身で現在目立っているのは笑也、芝のぶ……ぐらいですかね。 「脇役が良くなくっちゃ、しばいは面白くならない」とは田之助さんも仰られていました。役者の人数もだんだん減ってきて、ワキが薄くなってきちゃっているので「養成所の人たちには、ホント頑張って頂きたい」との事でございました。 脇役といえば山崎権一さんですが、田之助さんが以前はどうだったこうだった、役者の名を挙げて**さん、**さん……と話をする中で、権一さんだけは、 権いっつぁん だったのは、なんだか微笑ましかったです。 **************************************** 筋書などに載っている肖像写真を見た印象から、田之助さんは、下町辺りだとこういう人はいるやねという「おっかなくって・頑固なおやっさん」風に思えて、しかも人間国宝&横綱審議会の委員という物々しい肩書きを持つ大人物でもあるのですが、実際はなんともまぁ気さくな雰囲気の方でして、しかもちょっとシャイな感じもいたしますかね。意外といえば意外、「らしい」といえばらしいやと思っちゃいました。 |