2004/11/24(その1)

歌舞伎座の十一月は「吉例顔見世大歌舞伎」ということで、劇場正面破風の上に「櫓」が組まれております。 この日のチラシ等はこちら



江戸時代のしばい小屋には小芝居や人形芝居、上方には子供芝居や中芝居などなど様々な種類があったなかで、最も格式の高い小屋とされたのが、江戸の方では所謂「江戸三座」……江戸初期には四座あったのが途中一つ減って、幕末には中村・市村・守田(森田)の三座でして、その「格式の高さ」というのが具体的に何を意味するのか、それはおそらく小屋の規模(舞台間口が12間程度、席数が詰め込んで千人程度)、見物料の価格設定(天保の改革以前までは非常に高額)、役者の給金などにおいて他の小屋と一線を画すものがあったのだと思いますが、そういう大規模な小屋の数は幕府から制限されていまして江戸では三座に限られていた、小屋に櫓を立てる事が許されたのもこの三座のみという事で、江戸のしばい者にとって「櫓」とはしばい社会の頂点を象徴するもの、江戸三座の「櫓」を巡り劇界関係者の確執・政治闘争の伝聞も今日まで残っいたり、とにかく「櫓を立てる」という事に対する強い執着があったようですね…………なんてエことを話では聞いていたものの、昔の人が何でそんな事にこだわったのか?たかが「櫓」じゃん、などと思っていたのですが、今回その「櫓」を実際に目にしてみて、
これはとてもかっこいいものなんですねえ
と思ってしまった。小屋全体がぐっと重みを増したような印象もあります。

しばい小屋がいくつも建ち並ぶ中で、櫓のある小屋とない小屋とでは見物する方も、また特に出演する方の人間にとって、これはずいぶん気持ちの違ったものだったかも分かりませんね。





秋の空と屋根瓦。


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