2005/06/11(その5)
表通りからちょっと入った所に建っていたビル。



たしか歯医者さんだったような。入口の所に、区画が変わる前の番地の表示が残されていました(町名は蛎殻町のままだが、番地が今とは違う)。



その隣には「看板建築」。
関東大震災の復興期に建てられた「看板建築」は、当時の法規制を受け2階建て、あるいは屋根裏部屋を3階として利用した「外観だけは3階建て」建築がほとんどのはずなので、本式の3階を持つ(ように見える)この建物は、大正末期というよりはもう少し後の時代のものなのかも知れません。

看板建築のメッカと言えばかつての神田神保町界隈。看板建築はこの街の「顔」でもあったのですが、バブル期の頃に軒並み取り壊され今は見る影もない。もはや残り少なくなった現存する看板建築は、貴重な存在と思います。



同じ路地の並びにて。


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