2008/09/10(その2) |
今年いっぱいで営業終了、その後は取り壊される事になった新宿コマ劇場。 以下はウィキを多少編集してコピぺ; 定紋は独楽(コマ)。運営会社であるコマ・スタジアムの社章を兼ねる。映画館の「新宿コマ東宝」と「シアターアプル」を併設している。 大阪・梅田にあった梅田コマ・スタジアム(梅田コマ劇場の前身)の姉妹劇場として、1956年に開場した。開場当初は「新宿コマ・スタジアム」と呼称していた。 2005年5月、新宿コマ劇場の運営主体であるコマ・スタジアムとアミューズ、阪急電鉄は業務提携を行い、アミューズがコマ・スタジアムの第三者割当増資を引き受ける事で阪急電鉄、東宝に次ぐ第3位の株主となった。 しかし、築51年が経ち、建物自体の老朽化が進行し、また入場客数の減少に歯止めがかからず業績が低迷しているため、2008年大晦日の『年忘れにっぽんの歌』の生放送を以て閉館する事を同年5月28日に発表。閉館後は東宝の支援を受けて同時に閉館予定の隣接する新宿東宝会館(映画館「新宿プラザ劇場」が入居している)を合わせた約5385m2の敷地の総合的な再開発が展開される予定となっているものの、新宿三丁目駅付近のシネマコンプレックス(東映運営の新宿バルト9、ならびに松竹運営の新宿ピカデリー)に客足を奪われ、現在まで再開発の目途が立っていない。 「演歌の殿堂」という異名でも知られる劇場で、北島三郎、小林幸子、氷川きよし、松平健などといった大物演歌歌手の特別公演が開催されて来た。演歌歌手又は演歌歌手志望で芸能界に入った者にとってはベテラン・若手問わず、いつかはこの観客席を満員にしてコンサートや座長公演を行うのが夢という憧れの舞台であり、長期的な目標・宿願として公言する者はその知名度の如何に問わず数多く存在していた。 また、開場以来ミュージカル公演にも力を入れていた。『アニーよ銃を取れ』『努力しないで出世する方法』『南太平洋』『ピーターパン』など、新宿コマ劇場を日本初演の地として選んだミュージカル作品も数多い。 演歌以外のアーティストでは、1975年〜1980年の毎年8月に山口百恵が「百恵ちゃん祭り」と題した公演を行なっている。1975年のものは彼女にとっての初ワンマンイベントでもあった。またYMOが「ウィンター・ライヴ1981」の12月22日から24日までの3公演を新宿コマ劇で行っており、その模様は、DVDで見る事が出来る。また、サザンオールスターズも、1984年から1985年にかけてのカウントダウンライブを行ったことがあり、現在まで続くサザンのカウントダウンライブのはしりとなった。演歌歌手を志していた声優でもある水樹奈々も公演を行っている。 ギリシャ時代の劇場様式からヒントを得た回り舞台が大きな特徴である。新宿コマ劇場の「コマ」は、円形舞台が独楽(コマ)の回る姿に似ている事から付けたという。 舞台は同心円状に配された三重の廻り舞台と6つの小ゼリによって構成され、これらの回転と上下運動によって多種多様な舞台効果を生み出せるのを特徴としている。開場以来幾多の改良・改修を重ね、客席・舞台機構共に充実にしたものになっていた。 |
看板の両脇には過去の公演ポスターのサムネイルが、左右合わせて40枚並べてあります。それと今月分とを合わせると41。 |
ここだけ切り取ると、実は |
国定忠治等の任侠劇があるのはお約束。それと今回はねぶたが出るんですね。以前は巨大な竜の作り物に乗って歌うのを見せ場にしていた(らしい)北島三郎ですが、いつの頃からかねぶたに切り替えたようです。 |
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