日本製エレキの進むべき方向性を決定づけてしまった(涜した、とも言える)1970年代のコピー戦争ですが、
★第一次エレキブーム終了後の67年頃からモズライトのはんぱコピーが現れ始め、
★67年の秋にはHoneyのリッケン・コピー(SG-5)が発売。これにより完コピ志向が本格化。
★68年には3種類の完コピ・モズライトが乱立(Zen-on MORALES&Arai Diamond&Mosrite Avenger)。
★グレコがレス・ポール・コピーの発売を始めたのが71年頃で、
★同じくグレコのフライングVコピーのカタログ初登場が73年(たぶん)。
★フェルナンデスのストラト・コピーの発売開始が73年頃。
というのが70年代前半までの流れでして、73年のグレコやフェルは既にはんぱコピーのレベルからは脱却し、ここから先は各社とも細部の詰めを競うようになります。
という状況下での、この74年のテスコ(株)のカタログにラインナップされてるのは、いまだにはんぱテイストの漂うアレな感じのもの(もう一つこちらも)ばかりです。しかしこれらを製造したのはカワイ浅田工場で、つまりフェル&バーニーと同じレベルの製品を作れたはずなのに、なんでテスコはこうなのよ?という疑問はございますね。
カワイの社内的には「テスコ=セカンド・ラインのブランド」という位置付けだったのかも知れません。しかしテスコのテレカスやSGコピー等は、現存する中古品があまり多くないので(むしろ稀少)、当時もそれ程売れてなかったと推察されます。70年代前半には日本製エレキの歴史を彩るもう一方の雄、通販系激安エレキが既に活動を開始してましたから、もはや「安いと」いうだけで数を売れる時代でもなくなっていたかも知れません。
要するにこの時期までには、もはやテスコの出る幕はないという状況が完成しつつあったと。
テスコも通販に手を出してたかも知れない事を窺わせる痕跡もあるのですが。
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このカタログに掲載されてるのはエレキ本体とアンプ、アクセサリーの他に、
★ボーカル用アンプとPAシステム
★ファルフィッサのオルガン
★エコー・マシン
★リズム・ボックス
などがあり、むしろテスコ(株)のメインの商材は金額的に大きいPAシステムと輸入物のオルガンで、それらの「片手間に」カワイのセカンド・ラインのエレキも取り扱う、という体制だったのかも知れません。このカタログは、
★商品写真専門のカメラマンが撮影を行い、
★モデルを使用(もう1枚あります)。
★梨地エンボス加工された高級感のある厚めの紙、A1サイズに両面カラー印刷、仕上げ用のラッカー・コートもされてる。
というもので、これは70年代前半の楽器カタログとしては、かなり高級なものです。テスコ(株)=大企業カワイの子会社なのですし、神田商会の作るカタログ等と比べても広告宣伝費はかなり潤沢だったようにも感じられます。
ただ、ページ仕立てではなくて、A1を折り畳んだだけという仕様がちょっと簡易かな。
梨地エンボスは高級感のある紙質なんですが、スキャナーを通すと凹凸があるせいか、いまいちぼそぼそな仕上がりになってしまい、画像ではこのカタログの高級感が伝わりにくいのが残念。
表紙のキャッチ・フレーズNEW SOUND IN……の部分を拡大してみると
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でもこのカタログ、見た感じは全体に地味だし雰囲気暗いし、エレキのバックは場末のキャバレーの舞台照明みたいだしで、要するに21世紀日本人の目にはひたすらダサいものとしか写らないかも知れません。しかし74年当時は、これでも充分カッコいい、
ナウなヤングのための先端文化の雰囲気が横溢するナイス・ビジュアル
だったのかも知れないんですよね。少なくとも当時は、他社のカタログもだいたい似たような感じです。
「流行文化」をその同時代人が評価するという行為には、それ独特の困難さが付いて回るものですから、今からさらに30年後くらいになってから、つまり80年代や90年代のカタログも等しく古文書化するのを待って初めて、このカタログに対しても公平な評価を与える事が出来るのではないでしょうか……
なんて、無理な擁護をする必要もないかな。やはりダサいものはダサいでおk?
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