YAMAHA SC-800


Teisco Vegas 66、2012年3月

electro-harmonix mini Q-TRON、2011年11月

ACE TONE MINI ACE、2011年4月

歪みエフェクター4種類、2010年8月〜2011年2月

YAMAHA SC-800、2010年12月


私はこのエレキをMY楽器にするつもりで入手しました@2010年の秋頃。
しかし手放しました@2012年3月。

 YAMAHA SR-700に載せてあるVan ZantのPUを、このSC-800に移植するつもりだったのです。Van Zantはなかなか良いPUなのに、SR-700はセン材ボディの残念コピー。一方、SC-800はノントレ・ブリッジだからストラトとは全くの別物だけど、ボディ材はアルダーでネックはメイプル、という点はストラト的であるし、

・そこそこ高品質っぽく、
・とくべつ変わった点はなく、
・というか、可もなく不可も無し。
・これといった特徴のない製品。
・つまりは、良くも悪くもヤマハ的。

 だから私は、SC-800にVan Zantのための、いわばリファレンス・ボディの役割をさせるつもりで入手したのです。しかしその後、SC-800の弦間ピッチがFender規格のPUに対して狭すぎる事に気付き、この改造計画はあっさり没。

 日本製フェンダー・コピーの弦間ピッチは本物Fenderより狭い傾向がありますが、SC-800の場合はネック幅もかなり狭い。SCシリーズのブリッジはSJシリーズのと共用パーツで、だからSJだって弦間は狭い方なんだけど、SCのネック幅(ナット幅)はSJより更に狭い。そのためフロントPU位置でのE to Eが、Fender規格PUのポールピース5本分くらいしかないんですね。これでは使い物になりません。

まさかそれ程まで狭いとは思ってなかったというか、そんなの最初に気づけよって話しですけど。

 Van Zantを載せる案がダメでもSC-800はそれなりに魅力のある製品だから、オリジナル状態のまま所有するのでも良かったけど、「手持ち機材を極力減らす」のが生活信条ともなった今日この頃ですから、あってもいいけどなくてもいいレベルの物件は手放すのです。

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 というわけで手放してしまったSC-800。もう一度書きますが、それなりに魅力ある製品には違いなかったです。黄色味を帯びた木材の質感は、ほどほどに高級品的な雰囲気を醸し出す。あくまでも「大衆向け大量生産型商品」という枠内での高級品。その、上限が予め決められてる感じが1970年代っぽくもあり、実にヤマハっぽくもあるというような佳作。

 ボディ全体のシルエットは、ストラトよりも丸みを帯びている(ような気がする)。ボディ・エッヂのR加工も、丸みが多めなように感じられる。そして一般的に、明度の高い暖色は膨張色である。だからこのエレキは、実際の寸法、実際の板厚以上に、視覚上の量感を豊かに感じさせてくれてるように思われます。
 SCシリーズのボディ・カラーには黒やクリーム・ホワイトもありましたけど、見た目上の量感増量効果はナチュラル塗装に限られます。ぽってり丸みを帯びた形態と量感は、マイヨールの彫刻のようでもあり、その点がなかなか魅力的である、なんて事まで言い出すと、それは流石に連想が過剰かも知れないが、

自分が中学生だったのは1977〜79年。つまり、いわゆるヤマハ黄金期ど真ん中の時期だったのですが、当時の私はヤマハのエレキを、それほどカッコ良いとは思ってませんでした。というかむしろヤマハのエレキとは、
「オッサン臭くてダサいもの」
でした。ヤマハは主として、大学生以上の世代を対象に製品を企画・開発していたらしいのだけど、中学生から見た大学生というのは「オッサンの部類」に属する人種 ……21世紀現在の日本ではどうか知らないけど、1970年代の頃について言うなら、中学生から見た大学生はとても「大人っぽく」て、自分らとは別世界の存在だった、 だからヤマハ製品が中学生に受けが悪いのも、むしろ当然。価格の設定も大人向き。つまりグレコとかよりも少し高額。そういう面でもヤマハのエレキは、中学生とは縁遠いものでした。

 ところで、中学生当時の私が好きだった彫刻家はブールデル

物語性のある題材を、明快な構成とダイナミックな動態で表現するブールデルは、中学生にも充分わかりやすいタイプの彫刻であると申せましょう。その一方でマイヨールは、中学生当時の私にとって、どこが良いのか、さっぱり分からない存在であった。

・しかし最近の、50才近くになった私は、マイヨールもやはり良いものかも知れないと、段々そう感じ始めている。
・そして、以前はオッサン臭くてダサいと思ってたヤマハのエレキに対する評価も逆転した。

なぜこういう事が起きるかというと、たぶんつまり、自分もオッサン(というか老年)に達して、加齢に伴う趣味嗜好の変化が発生したからだと思います。

 ちなみに、フランス近代彫刻三傑の筆頭はロダン、その彼の最高傑作と呼ばれてるバルザック像に対しても、中学の時は(そして高校生になって以降も)私にはその良さがちっとも分からなかった。しかし最近は何だかすごく魅力を感じる。

 いやべつに、マイヨールや「バルザック」が老人向きの作品だとかいう事ではないですよ。ついでに言うと「老年になれば趣味嗜好が変化して、以前は良いと思えなかったものが何でも良いと思えるようになる」のかというと、やはりそれはそうではないのであって、例えば上記と同じフランスのものでいうとルノワールセザンヌ、私は子供の頃からこの二人の絵のどこがどう良いのかまるで理解できず、現在も理解できないままで、たぶんこの先の残りの生涯をかけても理解できないままで終わると思う、というような事はありますわね。
 しかしこういう予想はアテにならないもので、これも例えばモーツァルトシューベルト。私はこの二人の作品に関しても何が良いんだかさっぱり分からなかったし、たぶん一生かかっても分からないままだろうと思ってた。しかし2011年頃、とくにキッカケ的な事もなく、ある日突然この二人の作品を面白く聴く事が出来るようになったのですね。これは不思議な体験だった。「とても好きになった」という程じゃないですけど、しかし以前とは全く違う印象を受け取れるようになったのは確かな事で、とまあそういう事もあるものです。わけが分かりませんね。

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